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怒りに震えることしかできなくても、平穏を願っている

戦争が始まったらしい。

こんなことを書くべきではないかもしれないと思ったけれど、これはただの私の日記だ。きっと誰も読んじゃいない。好きにさせてもらおう。


昼頃、私がサバの味噌煮缶の残り汁を味噌汁に入れて食べていると、いぬが目を覚ました。それちょうだい!と言ういぬを誤魔化すため、食事を中断して、ポヨポヨと鳴るボールを投げて遊んでいたところだった。流し見で付けっぱなしにしていたお昼のニュースから、速報が流れた。「特別な軍事作戦」という名の侵攻が始まったらしかった。

前々からニュースでよく耳にするようになった「ウクライナ情勢」という言葉を、私は少し調べてみたりもしたけれど、結局当事者じゃなければ自分ごととして理解することはできなかった。その場にいなければ分からないことだって山ほどあって、外側から知れる情報はどれもこれも偏りがある感じがして。

ちゃんと理解はできなかったけど、だからと言って意見する権利が無いわけではないと思った。


不安で落ち着かない。ウクライナの時間を調べてみたら、まだ朝だった。戦争って、朝から始まるんだな。なんか夜に始まるんだって、勝手にそう思っていた。
見ない方がきっと心の平穏は保たれると分かっていても、現在の状況をSNSで探す手が止められない。


このツイートを見て、「戦争」という言葉がストンと落ちてきた。ああ、そうか、戦争だったのか。こんな時代に、2022年に、言葉の壁も発信する場所もきっと昔より自由になったこの時代に。まだ戦争が起こるというのか。

私たちは昔から、戦争に対する教育をされてきた。戦争は悲しみしか生まないこと、誰も幸せにならないこと。失うものが多すぎること。散々だ。散々、染みついたこの「戦争」に対する恐ろしさが、いま確かにリアルタイムで起こっている。
結局敗戦国がいくら戦争の悲しさを風化させまいと努力したところで、得をする人間がいれば戦争は起こる。戦争はなくならないって、確かに聞いた。それはそうだけど、なんで子どもでも分かるような、簡単なことが分からないんだろう?手を出したらおしまいだってこと。交渉や言葉でどうにもならなくて実力行使すれば、それは犯罪なんだってこと。軍人であれ一人でも亡くなればそれは人殺しなんだってこと。言葉を尽くすことを諦めるなよ。私たちは話をすることができるはずなのに。

原因がどちらにあるかとか、経緯がどうとか、そういうことを言っているんじゃない。先に手を出した方が悪い。絶対に、それだけ。

侵攻(戦争)を始めた側が、「流血の全責任はウクライナ政権の良心が負う」と発言していた。怒りで震えた。そんなわけないだろう。どんな理屈だ?自分から殴っておいて、相手の怪我は相手の責任で、自分には全く責任が無いと?怒りと悲しみで堪らなかった。ニュースに映る発言者を睨みつけて、「ふざけるな」と口にした声が震えて濡れた。目の前で退屈そうないぬが私を見つめている。なんにもできない。悔しさで泣くだけの私にはなんの力も無く、明日になったら歯医者に行って、きっと食料品を買って帰るのだ。戦争なんかやめてくれ。ただ平穏で居たいだけだ。きっとそれがいちばん大切なはずなのに。

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