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「大嫌いなアイツにも家族がいる」それがなんだ

一年前に退職した会社の社長には、私と同い年の娘さんがいた。
同級生で、同じ女。私は社会人だったけど、社長の娘さんは大学生だと聞いた。


左の薬指に光る指輪。
社長の長期休暇中に毎日社内メールで報告される家族団欒の海外旅行。
プライベート用の年賀状発注を任された際に見た家族写真。

この人にも家族がいるんだな、と、いつかに孫の話をされながら思ったことをなんとなく、覚えている。


同期が何人かいた。ほとんど私と同じ歳。
でもみんなも、そして私も社長と一緒に働いていくのに心の限界が来て辞めてしまった。他にも何人か若い人が私より後に入って、私より先に居なくなった。

社長の娘さんが、もし同じ会社で働いていたなら、同じようなことになったのかな。それとも私たちみんな、ダメだっただけ?一体どういうつもりで、私たちに向かって「同い年の娘がいる」なんて話をしたんだろう。どういうつもりも何もなかったんだろうけど。

前にいた人間のほうがまだ仕事ができた、とか、目の前で言われることは無かった?きつい言葉で罵られることもなかった?答えられない質問をずっとされて追い詰められることもなかった?私と比較した過去の優秀な人間だってここにはもういないのに?会社には、片手でも余るほどの超ベテラン以外は誰も残っていないのに?



私の父親も、私が娘じゃなかったら、そういう対応をするのかな。私の母親も、同じような面を持っているのかな。

社長に怒られて泣くのを堪えながら、全然面白くない雑談に愛想笑いをしながら、ミスした人間に口汚く罵る場面を右から左に流しながら、私はしょっちゅう同じ年齢で同じ性別の社長の娘さんのことを考えていた。マジでその情報、知りたくなかったな。
自分の親が誰かにとっての社長と私みたいになっているところも想像した。それはすごく怖いことだった。

家族って、ほんの一面しか見えない。
家庭以外でどんな人間であるかなんて、きっとわたしは一生知ることはない。
それはわたしも同様で、知られることはきっとずっと無いだろう。

友達だって誰だって、一つの関係性でしかいられなくて、見られる面は私と向き合ってくれる一面だけだ。
私にとっては大好きな人でも、他の人からしたら大嫌いな人だって可能性が、絶対にある。


社長には娘さんがいた。でも私だって、家に帰れば同じく誰かの娘なのだ。
お腹を痛めて産んでくれて、お茶目で元気な母がいて、色んな趣味を持ちながらも、毎日働いて食べさせてくれた父がいる。誰かの家族だし、友達だ。


はじめましての人間でも、自分が嫌な思いをさせられた人間でも、左手の薬指が埋まっていると安心すると、きょうだいが言った。

それは「この人でも結婚しているということは、きっとそこまで悪い人じゃないんだろう」とか、「誰かと結婚するまで深い仲になり、添い遂げるまでに至ったんだろう」とか思えるっていうこと。

でも、マジでそんなの関係ないのだ。誰かにとって善人でも、私にとってサイテーだったのは変わらない。



結局、ただの私怨の話だ。


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