料理は愛情なんじゃなくて、料理”も“愛情ってこと

料理を作り始めた頃、「料理は愛情」って言葉、しょうもないって思ってた。

レシピの分量通りに作れば味はまず失敗しない。火加減だって、むやみに強火にしなければ焦げたりしない。煮物は甘味から加えるとか、具材の大きさ、水溶き片栗粉のダマにならない加え方。何度も作って経験値をゲットすれば、確実に上手くなっていく。

料理は愛情で美味しくなるものじゃない。レシピ通りに正しく手順を踏みさえすれば、誰でも美味しいものが出来る。愛情があろうとなかろうと。

それでもきっと「料理をしよう」と思う起点は愛情なのだと、1年以上ほぼ毎日献立を考えて、料理を作って私は思う。手の込んだ料理に挑戦してみようと思うのは、食べさせる相手の喜ぶ顔が見たいっていう愛だったり、自分が満足するための愛だったりする。レシピに少し手を加えてみて、工夫するのだって「もっと美味しくしよう」という料理そのものへの愛情だ。

でもそれって、別になにも料理に限った話じゃなくて。絵を描くのだって、対象物の造形に対する愛が必要だし、色への愛も必要で。好きが伝わらない絵って全然魅力的じゃない。絵画も愛情。

今書いているこんな文章だって、言葉への愛がなくちゃいけない、感情への愛がなければいけない。どうでもいい感情を丁寧に言語化することはできない。言葉をこねくり回して、適切な言い回しを模索する。自分の感情に出来るだけしっくり来る再現性を求める。私はnoteを書くことで、自分の感情を見つめ直して、大事にできている気持ちになる。

これも愛、あれも愛、たぶん愛、きっと愛。そんな歌が昔あったな。


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