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大人になったら、どうしよう

「大人になってからの方が楽しい」って、自分が学生の頃に大人から聞いた。
だけど実際大人になった今、小学校、中学校、高校と区切りがあった学生時代より、なんの区切りもない大人、先行きが見えない大人は、ずっと不安ばかりで、気が遠くなる。
大人の果てはどこにある?死?
学生が終わってから、人生が本当に始まった気がする。

引っ越す予定がある。次の家を探している。
次に住むかもしれない地域を見て回った。
さみしい、ここにはなにもない。
引っ越したら、きっと帰りたくなる。帰った先に、帰る場所なんかないのに。

引っ越さない理由を友達にしても、友達からしたら私の優先順位は1番じゃない。友達だって結婚や仕事で地方へ行くことになるかもしれないし、親が倒れて実家へ帰るかもしれない。だからやっぱり優先するのは血縁で、友達より家族を取るのは当たり前のことで、と、ずっと自分に言い聞かせている。なにがいちばん大事なのかなんて分からない。人生の分岐が始まっている。

ずっとこのままで居たい。ずっとこのままでは居られない。
ずっとここに居たい。ずっとここには居られない。
祖父母は老いた。親もそのうち同じようになる。それをいちばん近くで見続ける覚悟が無い。なにも変わらないで欲しい、みんな居なくなって、1人になった自分を想像する。

犬に会いたい。そのうち順当にいけば私より先に居なくなってしまう犬のこと。ずっと一緒にいたいだけ。
昔から、眠る前に身近な人の死を何度も想像する。考えたくもないのに、勝手な想像で何度も泣いている。今日もそういう日だ。
昔一緒に暮らしていたうさぎの死も何度も想像した。いちばん最悪な状況を先回りで考えることで、実際に起こったときのショックを減らそうとしているのかもしれない。
だけど本当にうさぎが死んだ日は、結局一日中泣いた。先回りの想像に意味なんてなかった。

定期テストが終わって、下駄箱を出てスマホを取り出した途端、「死んじゃった」と母からLINEが来ていた。現実味が無かった。家まで遠回りで帰った。一刻も早く帰るべきだったのに、現実と向き合う時間を少しでも先延ばしにしたかった。散々泣いて、お腹が減って、悲しくなった。

考えても仕方のないことを、昔から考えてばかりで、今も、先のことを想像すると、希望なんかひとつも見えない。楽しみが待っているだろうか。このまま、なんとなく歳をとって死んでいく。身近な人の死を、何度も本当に経験していく。耐えられるだろうか、耐えるしかないんだろうな。人生は長い。大人はずっと続く。

なんでも出来そうで、なんにでもなれそうな日と、なんにも出来なさそうで、なんにもなれないと嘆く日を、これからも繰り返していくんだと思う。

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