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誰しも部分的には少数派

 「少数派な人に対して理解を深めましょう」という議論はしばし展開されます。ただ私にとって少数派というのは身近なことでもあるのです。例えば我が家は転勤族で、全然違う地域に越した事もあります。


 言葉も文化も違う。子供の時には辛くて、「昔居たところに帰りたい」とよく思ったものでした。ずっとそこに住んでいる人達からしたら当たり前のことがわからず、冷ややかな目で見られたり。居心地の悪さを感じることもしばしば。


 でも大人になったら、いい経験をしたとも思えるようになった。日本という国の中にいても、少数派になる可能性はいくらでもあるわけで・・・。そういう事に気づけたのは、転勤族の家庭環境だったからこそ。


 その土地のしきたりやルールというものを、理解するのに時間はかかります。やはりよそ者扱いされることもあったりします。でもよそものだから、手加減してもらってることもある。不要なトラブルに巻き込まれることも少ない。恵まれてる部分も、実はたくさんありました。


 人間ってどうしてもいやな経験や損したことばかりに目が行きがち。ただ得してることも一杯あるんだよなぁ。その人のハックグラウンドや属性は一部少数派であっても、その人を構成する要素全てが少数派ではないと思う。


 一人の人間の持つ多面性を考慮するならば、少数派でもあり多数派でもある人がほとんどなように思います。一見矛盾しているように見えますが、相反するものを包括しているのが人間だとも感じたりもします。少数派であることを極度に怖がらず、また多数派であることに驕らず生きていければ、もっと生きやすい社会になるんじゃないかな。


 私の中のささやかなマイノリティーを、抱きしめて大事に生きていく。人によっては複数かもしれない。人に話せないことで葛藤している人も、自分の弱さを慈しむ事が出来れば、自分で自分を救うことも可能な気がします。

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