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考えることを続ける為に

 snsとの向き合い方について、あれこれ議論が深められています。フェイクニュースなどもそうですし、インターネット上での犯罪など。皆さんはいかがお考えでしょうか?

 
 色んな情報が集められるというのは、本当に便利ですね。安上がりに済ませようとすると料金比較サイト等で瞬時に欲しいデータを引っ張ってこれますし。ただ「何かを深く考える時ショッピングする時のように沢山の情報を精査吟味出来ているかな」と自分の心に問いかけてみると必ずしもそうではないかなと


 勇み足でうっかり勘違いが増えたかも。情報源というのもネット・本・人など色々あった方が自分にとって良いのかなと日々感じています。これは現代社会に限った事ではなく、私が子供時代の事を振り返ってもそう思います。狭い社会での子供同士の話とか結構デマも混じっていました。笑って許されるレベルがほとんどですが、ごくまれに悪意のあるネタも・・。


 そういう経験も繰り返して自然と情報を取捨選択する目が養われていくものだと思います皆情報を抽出する作業や人を見る目というのは、いきなりうまくなるわけではありませんハッとヒヤリ経験も必要なんじゃないかと。ただ悲しい事にそういう失敗を安全に経験させてくれる場って本当になくなっちゃいました。


 インターネットってちょっと退行催眠にかけられたようなところあると思うんですね。かかりやすいかかかりにくいか個人差はあれど。何だか自分が妙に賢くなった気になったり、気が大きくなったり。ネット弁慶とか言われている人達も意外と会社や学校ではちゃんとしてる人も多いからね。老婆心ながら子供にとってそういう場が最強の問題解決ツールになってしまうのはちょっと悲しいなと。

 メディアリテラシーというほどの事でも無くても、身近な所にも情報教育のヒントはこんなに転がっていますね。

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