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レトロとも違うわびさびの精神

 私はシャッター通り商店街を練り歩いたりするの好きなんです。新しくオープンするお店よりもこの前まで確かあの店だったよなとか。そっちの方が記憶として染み込んでいて、上書きされにくいみたい。自分にとって過去の記憶を辿ることも良い気散じになっているようです。

 夕方のニュース番組を見ていたら、山奥にあるもう使われなくなった郵便ポストを見に遠方からはるばる観光客の方がやってくるそう。スマホで写真撮ったりするのが流行っているらしい。


 一時期私は枯れた水路を眺めたりするのが好きで、結構ハマっていたんですが。多分感覚的に近いものを感じて安心しました。今風に言うと「エモい」なんじゃないでしょうか。


 どんどん新しい言葉が生み出されては消えていくこんな時代。正直「エモい」が何なのか私体感的にずっとわからなかった。ようやく理解出来たように思います。

 今どきの言葉を単語だけ聞いてもピンと来なくなってきているな。事象と単語をちゃんと結び付けないと、どういうときにその言葉を使うのが適切なのか難しいです。今回の私の解釈があっているのかどうかも自信ないし。世代を超えて感覚を共有できるって素敵なことかもしれません。

 
 使われなくなった山奥の郵便ポストも枯れた水路もきっと一時期は皆使ってたもの。かつては人が賑わってコミュニティーが存在してたんだなと思うと「いとをかし」の感情が湧き上がってきます。


 歴史的価値のある建造物を鑑賞するのも、また趣深いものですね。京都にも久しぶりに行きたいと思っているのですが・・・。子供時代に自分の目に映った枯山水など今見たらどう思うでしょう。きっとあの時とは違う風に感じられると思います。

 ようやく違いが分かる人に片足一歩くらいは踏み込めたかなと思います。ただ現在は中々人が集まる所には皆さん行けませんから。身近な所でしんみりしてみるのもそんなに悪くないでしょう。


 




 


 

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