「優しいは、かなしい」のかも

 誰にでも親切で優しい人って、苦労人の方も多いですね。笑顔の裏には、数知れぬ苦労が・・・なんて思うとその人に対する見方も随分と変わってきます。

 優しい人が時折見せるふとした物憂げな表情にこちらも引っかかったり。私はそういう時には気付かないようにして、あまり聞かないようにしているのです。ただこれも良い選択かどうか分からないです。

 
 気付いているのだから、気遣う方が良いのかな?それともあえて気付かぬふりをするのがスマートな大人?長く生きてきたから、色々経験をして迷う事もありますよね。


 無邪気に「どうしたの?」と聞けていた子供時代が懐かしくもあります。子供だからこそ、躊躇なくやれていた事なのかもしれません。もうはるか遠く昔の事のような。いやでも最近の事のような気も致します。そこまで子供に戻りたいとも思えないし。

 
 大人になるってどういう事なんでしょうかね。打算や駆け引きを覚えたりして、童心は徐々に失われていったと思うけど・・・。そこまで割り切って、ダークに染まり切れずにいる自分。大人になるにもやや半人前。優しさは時に孤独を伴ったり、背負うものも大きいんだなぁ。


 今の私は優しさや正しさを貫き通せるほど、強くもなり切れず。日々を漫然とやり過ごすばかり。ぼんやりと重いため息をついています。相手にばかり優しさとか正しさを求めるのも違うのかなと一人考え込んでしまう。

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