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note全クリエイターにオススメ!文章の書き方で一番の本と出合いました!

noteをやっているクリエイターなら誰しも、文章は人並み以上に上手くなりたいと思っているんじゃないでしょうか。

もちろん、ぼくもそう思っているし、これまでに何冊も文章術の本を購入し、なんとか読破、あるいは挫折してきたクチです。

付箋を貼りながら読み進め、いったん読了すると、すぐに付箋の箇所を読み直しもう一度インプットする。すると、その前後にまた新たな付箋が増えていく。

そして、頭の中にインプットした数々のメソッドがぼんやりと残っているうちに、こうしてアウトプット。
これで、ぼくの文章力は数段アップしているはず(と思いたいなぁ)。

でも、「アップしてこのレベルか」といったツッコミは・・・。大目に見てやってくださいね。

その本とは、
「20歳の自分に受けさせたい文章講義」  著者 古賀史健
です。

アマゾンでの評価も高いので、もうご存じの方も多いかもしれませんが。

以下、この本に書かれていた主要なメソッドを、ぼくのフィルターを通してになりますが、紹介していきますね。


ガイダンス その気持ちを「翻訳」しよう

書くのではなく“翻訳”することが大事。
文章とは、頭の中にあるぼんやりとした“感じ”や“思い”を自分の言葉に“翻訳”すること。
「あー面白かった」で終わらせればそれまでだが、このぼんやりとしている「面白かった」部分に言葉を与えなければならない。
後に、文章として残したものと、ただ読み終えたものとでは、記憶の定着力がまるで違う。
“翻訳”することは、それだけ深く理解するということ。
人は理解したから「書く」のではなく、解を得るために「書く」と言える。

第1講 文章は「リズム」で決まる

文章のリズムは「論理展開」で決まる。
文と文の「つなげ方」や「展開の仕方」がおかしいとき、その主張は支離滅裂になり、リズムよく読めなくなる。
この「論理破綻」に気づくためのキーワードは「接続詞」にある。
単独では正しい一文を2つ並べてみたとき、どんな「接続詞」が入ればリズムよく読めるかを考えてみる。
どの「接続詞」を入れてもしっくりこないとき、その文章は「論理破綻」している。
最終的には削ってもよいが「接続詞」を意識すれば、「論理破綻」は防げる。

第2講 構成は「眼」で考える

頭の中にある“感じ”や“思い”は、可視化することで客観視できる。
可視化する方法として、文章を図にして考える方法がある。
図にすれば「流れ」と「つながり」が明確になる。
キーワードを書き出し、マルや四角で囲み、矢印でつなげていく。
矢印を右から左、上から下へと論の流れを視覚化していくと、自身の思考も整理されていく。
ポイントは随所に「なぜか?」を入れること。こうすると、読者が疑問に思う部分や、自分でもうまく整理できていなかった解が見えてくる。

第3講 読者の「椅子」に座る

アマチュアでもプロでも、メールでも小説でも、あらゆる文章の先には必ず「読者」がいる。相手の立場に立って考えろ、とはよく言われるが、必要なのは、隣に立つことではなく、読者と同じ椅子に「座ること」。
文章を書く上で本当の意味でその「同じ椅子」に座れるのは、
①「あのとき」の自分
②特定の“あの人”
の2人だけ。

①「あのときの自分」の椅子に座る
今なら経験済の有益な情報を、まだ何も知らないときの自分に、どのように伝えれば納得してもらえるか。
あのとき自分がこれを知っていれば、人生は変わったかもしれない。
そこまで、切実な「伝えたい!」という思いがあって書かれた文章は言葉の強度が違う。
たとえ技術的に多少の難があったとしても、必ず読み手に届く文章になる。

「過去の自分に書いた文章なんて、誰が読んでくれるんだ」という意見もあるかもしれないが、いまこの瞬間にも日本のどこかに「あのときの自分」と同じ境遇の人は存在する。
人間は、どんな時代も同じこと(普遍的なこと)を考え、同じことに悩み、同じことで苦しんでいるから。

②「特定の“あの人”」の椅子に座る
できるなら直接の知り合いを想定したほうが書きやすいが、それが無理な場合は自分のなかで架空のキャラクターを設定すればいい。
「本当に特定の“あの人”に向けた文章が他者にも届くのか」という疑問は、ラブソングを思い出してほしい。
情景描写や年齢設定、心象描写の細かいラブソングは、たとえ自分にそんな経験がなかったとしても、感情移入してしまわないだろうか。

多数派をターゲットにすることをやめ、読者を絞り込むこと、特定の“あの人”にまで絞り込むことに躊躇する必要はない。
むしろ“みんな”から喜ばれようとするほど、誰からも喜ばれない文章になる。

第4講 原稿に「ハサミ」を入れる

「なにを書くか?」ではなく「なにを書かないか?」。
「なにを書かないか?」を基準にすると発想が“引き算”になる。
“引き算”で浮かび上がったものが本質で大切なもの。
読者は書き手の「がんばり」や「悩んだ量」を評価するのではない。あくまでも、文章の面白さ、読みやすさ、そして書かれた内容について評価を下す。
「もったいない」や「せっかく書いたのに」に縛られず、冷静に判断する。



いかがだったでしょうか。
この本のすばらしさが少しでも伝わっていればよいのですが。

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