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第5回嵯峨谷クロストーク(前編)

第五回目(前編)は、放送学科三回生の田中、寺田と嵯峨谷に住む谷山(たにやま)さんとのクロストークです!直接クロストークを行い、嵯峨谷の良さをたくさん語っていただきました!前編・中編・後編に渡ってお届け!今回はその前編を、どうぞお楽しみください!

嵯峨谷に来た理由

田中:なぜこの嵯峨谷に来たのかを、教えていただきたいです。

谷山:僕も家内も子供時代から田舎を持たないというか…。よくお盆や正月におじいちゃんとこに帰るというかクラスメートなんかはよくいたりしますやん。でも僕らにはそういう田舎っていうのはなかったから、そういうのを持ちたいなぁと言う漠然とした憧れがあって。

寺田:結婚する前に、金沢で過ごされた期間が4年あったんですよね?

谷山:はい。最初はやっぱり大阪に比べて賑やかさには欠けるんだけれども、文化度の高い街やったんよ。それとやっぱりちょっと足運んだら自然を感じられるところがあった。だから、こういうところがいいなと思って。結局、結婚して一緒に住む場所を求めた時に河内長野という郊外に行って。ただ仮に郊外に来ても、そこに住んでる人は、都心で働いている人が多いわけでしょ。

田中:たしかに…

谷山:でしょ。だから結局、家は帰るだけの存在なんですよ。生活スタイルも明らかに街の人のスタイルを郊外に持っていっているだけですから、結局場所が変わってるだけで街の生活とは全然変わらない。で、そうじゃないところがやっぱりいいなという感じで漠然と探してて。

寺田:どのような風に探したんですか?

谷山:いいところが見つかればいいなと言う感じで、時間を見て、家内と一緒に車乗ったりインターネットで検索したりして。で、気に入った物件があったら、ちょっとだけ見に行ってみたり。それを3年間やっていくうちに、自分なりの、こういうところ欲しいな、というのが自然に明瞭になってくるわけよね。

田中:嵯峨谷はその条件にぴったりだったんですね!

谷山:そう。あと、田舎物件に共通して言えるのはね、空き家なってから時間経ってることが多いんですよ。その場合はやっぱり建物が痛んでたりとか様々なマイナス面が見えてくるんやけれども、幸い僕の家の場合、まだ前の人が住んでたんでね。バトンタッチ、という形やったんですよ。非常に気さくな人で、来てすぐ気に入って、もうほぼ制約と言う感じだったかな。

寺田:3年目にしてめちゃくちゃラッキーな出会いがあったんですね!

谷山:でも正直に言って、それはあくまでも、建物の条件とか周囲の自然環境の条件については一致しただけで。はっきり言って住んでみないとわからないことってありますやん。

田中:たしかに、そうですよね。

谷山:けれども、人間的な付き合いとかそれはもうほんとに嬉しい発見が多かったですね。だから逆に考えると最初に条件してたことよりもむしろ予想もつかなかったところで良い出会いに恵まれたというかな。そういう感じですね。

田舎暮らしの影響

田中:芸術活動をされる上で、田舎暮らしの影響はありますか?

谷山:大いにありますね。やっぱり地方におったときには、地方によって、東京とかに居る人と比べて、多少遅れてるん違うかなという感覚があったんですよ。新しいものを身近なところで取り入れて、それを元にして自分なりの活動に発信していくんやったら、やっぱりその人が有利に決まってる、と思い込んでたわけやね。

寺田:でも違う、と?

谷山:長年やってるうちにだんだん分かってきたのは、結局そういう便利なところにおると身近な情報ばかりに目が行って、人のアレンジとか組み合わせとかそういうことをすることが多くなってしまうわけね。その一方で、自然な生活をやってると、何もかもが直接体験やね。直接受け止めたものを自分の表現につなげられる。自然から情報を得る事はやっぱり1番確かやし、本物ちゃうかなと思いますね。

大阪芸大の学生と関わって

寺田:このプロジェクトで芸大の学生と関わって、今後、嵯峨谷がどうなって欲しいですか?

谷山:まぁ木村先生をはじめとして芸大の先生方あるいは学生さんのおかげでね、当初予想していたより自分の出番は減ったなと思ってるんですよ。でもそれは、凄くありがたいことやなと思ってて。ただね、やっぱり僕は仕掛け人みたいな立場なんよね。だから人間的にもイメージ的にもいろんな意味で叩き台みたいなものを作って。その中で、途中までは「うまくいくかな?」っていう心配はありました。

田中:どこから心配が解消されて行ったんですか?

谷山:山の中での発表ね。非常にインパクトがあって。あれがもう、本当の出会いになったと思うんですよ。だから僕も、凄い気が楽になりました。それまでは、色んな心配とか、気苦労とかの方が多くて。

一同:(笑)

プレゼンの中で

田中:山の中での発表、プレゼンの中で、良いなとか期待したいなと思ったことがあれば教えて下さい。

谷山:実際にコロナで、嵯峨谷地区の意見を掴むこともできないまま、発車しているようなところがあったわけやね。だから皆さんに、何がして欲しいか分からないままスタートしたと思うんよね。そこで、この地区の持ってる魅力を発信して欲しかったり、そういうのをとにかく見つけ出していって欲しかったりとか。無理な注文やった感じもあったんやけども。結構それに応えてもらえたかなと思って。逆にこの難問が良かったんかな、とも思ってね。

寺田:たくさん提案させていただきました。

谷山:おそらく先生方も非常にその辺で工夫もされたと思うんやけども、結局デザインにしても放送にしても本質的なところに立ち戻らなあかんし、多分色んな意味で手間はかかったやろうけども。逆にこの投げ方は、結果としては良かったんちゃうかな。後はやっぱりコロナの問題については、色んなところで色んな人が言ってるけれども。一つの歴史のターニングポイントになるよ、と言われてますよね。これが起きんかったら気づかんかったことを、気づけるチャンスにするしかないんちゃうかな。人間って何なのとか、世界って何なのとか、日本は一体どこへ進むのとかね。手当たり次第考えるきっかけになるんちゃう?僕も考えてるしね。

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Instagramよりプレゼンテーションを行った時の様子

〜〜中編に続く〜〜

最後に

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

嵯峨谷プロジェクトの様子は、学生が運営しているNoteに加え、最新情報をお届けするTwitter、風景や暮らしは地域の方々が運営するInstagramで確認できますので、是非そちらもご覧くださいね!

就筆メンバー:放送学科 田中、寺田、井嶋、寺川

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