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嵯峨谷の歴史 第6回

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嵯峨谷から学ぶ歴史文化とは・・・!?

こんばんは。嵯峨谷の歴史、第6回です!今回紹介するのは「永正九年銘一石五輪塔」と「天正二年銘一石五輪塔」です!皆さんの町にもあるかもしれない五輪塔!それぞれ意味や役割があったこと知ってましたか?

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そもそも五輪塔とは?

塔婆の形式のひとつ。この塔の形は地・水・火・風・空の一切の物質を構成する「五大」を表すものとして、「胎蔵界大日如来」の三昧耶形(‥‥一切衆生を救済すること)としている。

この五輪五大の思想は中国においても早くからあったらしいが、鎌倉時代に日本に伝わってきてわが国石塔の主流になり、宗派を超えて造立されてきた。

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1512年に造られた「永正九年銘一石五輪塔」

この落窪の石仏群の中には一石五輪塔が十数基遺存するが、銘文のあるのは「永正九年銘の一石五輪塔」一だけだ。永正9年(1512)、宗口の菩薩のために造られた一石五輪塔で、高野山にも同年代のものが存在した。いずれにしても貴重な遺品であるが、多くは謎に包まれている。今後も詳しく調査していく必要があるものだ。

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観音寺に遺存する「天正二年銘一石五輪塔」

嵯峨谷にある観音寺。そこにも室町時代から江戸時代までの一石五輪塔が20基ほど存在する。その中でも在銘のものがひとつ、「天正二年銘一石五輪塔」だ。こちらは道忍禅門のために造られた安置型の一石五輪塔である。こちらも高野山における同年代のものと同じタイプで同じ石大工の手になるものと思われている。

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執筆メンバー:野口


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