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歴史、始めました。

初めまして!!

大阪芸術大学嵯峨谷キャンパスでは「クロストーク」だけでなく歴史や文化についても発信していきます。                   

突然ですが、ここで皆さんに問題です。

先ほどから何度か登場している「嵯峨谷」何て読むでしょうか?

正解は「サガタニ」と読みます。
(ここだけの秘密ですが、私は最初、スガタニっと読んでしました。)

では、このサガタニっていつからどのように始まったと思いますか?

記念すべき歴史の第一回目である今回は

「嵯峨谷(サガタニ)の起源や由来」をピックアップします。

嵯峨谷の始まり

嵯峨谷の人里としての起源は厳しい山の中で修行する「山伏」がこの土地に移り住み、暮らしの中で修行を試みた事からから始まったと言われています。

言い伝えによると、何と約1300年前

つまり、奈良時代(東大寺の大仏と同級生)にはすでに人が嵯峨谷で暮らしていたそうです。

「サガタニ」の由来

サガタニの由来は
崖の上の場所
道がギザギザになっている
嵯峨天皇の頭文字
からきていると、(すべて諸説あり)伝えられています。
山伏が修行の場として嵯峨谷を選んだ理由もきっと土地柄からなのかもしれませんね!

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嵯峨谷ってどんなところ?

平安時代の末期ごろには真言宗の総本山である高野山に近いこともあり、修行の場所、山伏の宿場として発達したみたいです。

現在は若宮八幡宮のように昔ながらの風を感じ、棚田や柿といった四季さまざまな自然に触れることのできる奥ゆかしく、落ち着いたすてきな場所です。

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                            ↑若宮八幡宮

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最後に

これからも大阪芸術大学嵯峨谷キャンパスでは嵯峨谷の昔ながらの文化、歴史的なものにも焦点を当てた記事を発信していきますので、是非チェックのほうをお願いします。

また、嵯峨谷プロジェクトの様子は、学生が運営しているNoteに加え、最新情報をお届けするTwitter、風景や暮らしは地域の方々が運営するInstagramで確認できますので、是非そちらもご覧ください。

執筆メンバー 匠 松下

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