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嵯峨谷の歴史 第5回

1嵯峨谷


嵯峨谷にはこんなところにもたくさんの石碑が…!おや?あちらの大きな石…。いったいなんでしょうか…?


こんにちは!嵯峨谷の歴史、ついに第5回目です!今回紹介するのは「六斎念仏板碑(ろくさいねんぶついたび)」!とっても大きな板碑ですがどんな意味が隠されているのでしょうか…?嵯峨谷の歴史、今回も見逃せません!


どんな板碑?

2嵯峨谷


嵯峨谷の観音寺には、石造遺物を中心として数十基の石塔群があります。そのなかでもひと
きわ目立つのがこちらの板碑。
高さ142.0cm、幅115.0cm、奥行25.0cm
なんとこちらは自然石の板碑で、天然の石を自然の姿を残すようにして工夫されたものな
んです!
碑面には大きく4 つと、小さく数片に割れていますが、コンクリートで元通りに接合され
ていますね!


六斉念仏について

銘文にある「六済」とは「六斎」のこと。「六斎」とは、月の内の8 日、14 日、15 日、23日、29 日、30 日、また前半・後半の3 日ずつを三斎日といいます。六斎は鬼神が人を悩まし害するという古代インドの信仰を取り入れたもので、この日は四天王・太子等が世間を案行する日でもあり、特に諸事謹慎し心身が清浄にすべき日とされています。
この六斎に行う念仏を「六斎念仏」と推定されています。ですがこの念仏、実際には六斎日とは関係なく、念仏の唱え方として「六斎念仏」としての特色があるんです。


板碑に刻まれた27 人の名

3嵯峨谷


嵯峨谷の六斎念仏の板碑には、文禄4年の3月26日に、六斎念仏の信仰で結ばれた27 人
が、各々の逆修供養のために造った板碑であることが知られています。27 人の記載はあり
ませんが、構成メンバーであろう、メンバーの名前が銘文に記載されており、当時の六斎念
仏信仰を知るうえでは、貴重なものです。
※逆修 仏語。煩悩に身を任せ、心理から遠ざかること。
いかがでしたか?大阪芸術大学嵯峨谷キャンパスでは、嵯峨谷の昔ながらの文化、歴史的な
ものに焦点をあてた記事を発信していきますので、是非そちらもチェックしてみてくださ
い!


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執筆メンバー:楠本

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