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「やめる」という選択肢があること

最近、「今日は〇〇を頑張ったよ!!」と毎日の頑張りを報告してきてくれる同級生がいるのですが、些細なことでも頑張って結果も出している姿を見ると、自分も頑張らなきゃいけないなぁと思わされます。

どうも、ottyです。

ダイエットとか脚を細くするストレッチとか、それだけ聞くとなんだそんなことかと思うかもしれませんが、これを本気で頑張って成果を見せてくれる同級生の存在は僕にとっては非常にありがたいものになりつつあります。

投稿開始から3記事目で早くも2週間以上投稿できていませんでした、、、サボっていたわけではなく、定期考査があったり単純にこの記事で書こうとしていた内容が思っている以上に誤解が生まれやすい内容で、何回も書き直したりしていたらめちゃくちゃ時間がかかってしまったりとまぁ色々ありました。。。(実はこれ、4回目の下書きを添削して投稿してます、、、)これでも受け取りづらい表現はあると思いますので、疑問に思った点等あればぜひ僕に共有してください。僕なりの答えを全力で返信させていただきます。

さて、言い訳はこのくらいにして、、、
普段生活していると「あれ、これおかしいんじゃないか?」と思う場面は多々あると思います。僕は学生なので、学校の中でこれを感じる場面が多いです。その中で今回のお話は、「学生にやめるという選択肢を教えないのはなぜか」という疑問について言及していきたいと思います。

「やめる」という選択肢を持っていることの重要性

皆さんは今やっている仕事、趣味などに「やめる」という選択肢を持っていますか?ここでいう「持っている」とは、自分がやめたいと思ったら躊躇わずにその選択肢を取れるということです。こう言われてみると、「はいっ」と自信を持って言える人は少ないのではないかなと思います。僕が思うにこれは「はい」と答えられるようになっておいた方が良いと思います。理由はいくつかあって、1つは自分が活動しているその場所である程度自由を持って活動できるからです。例えば仕事の現場でどう考えても不平等な役割にまわされたとしましょう。この時、「やめる」という選択肢を持っている人は、会社に自分の意見を躊躇なくぶつけることができ、自分と会社が納得する形で働くことができます。一方で「やめる」という選択肢を持っていない人は、会社の思うように働かされ、心身ともにズタボロにされます。このように、「やめる」という選択肢を持っているかどうかは自分がその場所でのびのびと活動できるかどうかに大きく関わってくるものだと言えます。だから「やめる」という選択肢を持っていることは重要なのです。

「やめる」という選択肢は万能ではない

ここで皆さんに誤解を招きたくないのは、選択肢として持っておいた方がいいと言っているだけで、その選択肢を取った方がいいと言っているわけではないということです。理由はこの選択肢が万能ではないからです。例えば事務所に不満があるタレントさんがその事務所を「やめる」という選択肢を即座に取ることはどのパターンにおいても正解であるとは言い切れません。ここで大事なのは、自分は「やめる」ことから勇気を持って事務所側と本気で話し合うことです。それでもダメなら「やめる」という選択肢を取ればいいのです。ただ、ここで「私が辞めたら相手に不利益がある」と決めつけて、マウントを取るようなことはしない方がいいということです。そもそも「やめる」という選択肢を持った方がいい理由は会社と社員、事務所とタレントのような、意見を言いづらい関係を改善するためです。それなのにここで会社や事務所が意見を言いづらい環境にしてしまっては本末転倒です。せっかく作った対等の関係をお互いの意見をぶつけ合うために使ってほしいなと思います。

先生が生徒に「やめる」という選択肢を教えていないと感じる理由

この小見出しについてはいろいろな場面があるのですが、大きなところをお話ししようと思います。
僕が小学生だった時、友達からかなり深刻そうな内容の相談を受けました。しかし、まだそんな経験をしたことがなかった僕は思うようにその内容に対して対応することができませんでした。友達が出してくれたSOSに応えてあげられなかったことが悔しくて、中学生になった頃からSNS等を使っていろいろな人の悩みを聞く活動を始めました。僕が話を聞く人はかなり年齢層も広くて性別も関係なくいろいろな方が相談してくれました。そんな中でもやはり多かったのは中高生です。特に、不登校になってしまった人の話を聞くことが多かったです。不登校になってしまった理由は実にさまざまでした。勉強についていけない。教室にいることが辛い。いじめられる。人間が信じられないと言っている人もいました。このような学生たちに話を聞いていると、つくづく思うのが「不登校になる」つまり学校に行くことを「やめる」という選択肢をとったことで少なからず楽になっている部分があるなということです。おそらく僕が話を聞いた学生たち全員あのまま学校に通い続けていたら命はなかったでしょう。そのくらい追い詰められている人たちばかりでした。実際にいじめなどで自ら命のスイッチを切ってしまう人たちは「やめる」という選択肢を知らなかった結果だったと僕は思います。そして、学校に行くことをやめられた人、やめられなかった人がいるという事実は、学校側がその選択肢もあることを教えていないことを示唆しているものであると考えます。理由は、学校に行くことをやめられた学生たちに誰からその選択肢を教えてもらったかを尋ねてみると、同級生、親、もしくは誰にも教えてもらっていないと答える人が多かったからです。この中でも多かったのは誰にも教えてもらっていないという答えです。このデータはしっかりと統計を取ったわけでもなく、僕の感覚的なところから来ているのであまり信憑性がありませんが、僕の経験からすると、学校でやめるという選択肢を教えてもらっている学生は全体的に見て少ないと考えます。

ここまでは現在の教育を見つめてみて、僕が疑問に思うなぜ「やめる」という選択肢があることを教えないのかという疑問について、僕なりの視点から問題点を挙げてきました。ここからは僕が思うこの問題に対する具体的なアプローチの方法です。

僕がこれから先の教育で必要だと思うこと

「やめる」という選択肢があることを伝えるには大きく分けて3つのことを子供たちが精神的に余裕がある時に、つまり授業の一環として教える必要があると思います。その3つとは、「やめる」という選択肢を持っておいた方がいい理由、「やめる」という選択肢を持つ方法、「やめる」という選択肢は万能ではないことです。「やめる」という選択肢を持っておいた方がいい理由と「やめる」という選択肢が万能ではないことはすでにお話しさせて頂いたので、次は「やめる」という選択肢を持つ方法についてお話ししようと思います。

「やめる」という選択肢を持つ方法

この見出しについて言及するにはまず「やめる」という選択肢を持っていない人とはどのような人なのかをお話しした方が早いと思いますのでまずはその話かららお話しします。よく「やめる」という選択肢を持っていない人が見間違われるのが、「やめる」という選択肢を選ぶ勇気がない人です。この2パターンの人は「やめる」という選択肢を持っているかどうかという点で明確に異なっています。例えば「やめる」という選択肢を持っている人が会社をやめるという選択肢をとったとしましょう。この人をAさんとします。Aさんの流れに乗って自分もやめようか悩んでいる2人の社員がいます。それぞれBさん、Cさんとしましょう。Bさんはこの会社以外にも生活費程度なら稼ぐことができる仕事を持っているとします。一方、Cさんはこの会社以外に仕事を持っていないとします。Bさん、Cさんが会社をやめたAさんに対して相談をしに行ったとき、話をする前はどうしてもBさんCさんともに「やめる」という選択肢をとる勇気がないように見えてしまいます。ただ、ここで注意して分けておかなければならないのは、「やめる」という選択肢をそもそも持っているかどうかです。この点でこのシチュエーションを見つめてみると、明らかにBさんとCさんで違いが見えてきます。Bさんは「やめる」という選択肢を持っているが、それを取る勇気がない。一方Cさんはそもそも「やめる」という選択肢を持っていません。この会社を辞めれば生活をすることができなくなるからです。
この話を聞けば、何となく「やめる」という選択肢を持つ方法は見えてきたのではないでしょうか。その代わりとなるものを常に持っておくことです。これだけ聞くと、「負担が増えるだけじゃん」と思うかもしれませんが、先ほどお話しした「やめる」という選択肢を持っておいた方がいい理由を考えてみてください。明らかにその負担に相応したメリットを得ることができます。この記事を読んだ方々にはぜひこれを意識して色々なことに挑戦してほしいと思います。

ここまで読んでいただいた方には「やめる」という選択肢を持っておくメリットとその方法を理解して頂けたかと思います。これでまずは教える準備段階の1つをクリアしました。ここからはどうそれを伝えるかを考えていきます。ここに関しては僕自身もまだ確信を持てる答えに辿り着いていませんので、ぜひご意見があったら僕と共有してください!

「やめる」という選択肢を教える方法

僕が何かを教えようとするとき、いくつか気をつけていることがあります。それはなるべく口頭ではなく、体験させること。それから強制力を使うときは直接的な強制力ではなく間接的な強制力を使うことです。これについてはまたの機会に別記事で詳しくお話ししようと思います。今回は前者の口頭ではなく体験させて教える方法についてお話ししようと思います。
そもそも学校生活の中で学生が「やめる」という選択肢を持っていることのメリットを使う場面はどこでしょうか。僕が思う絶好の場面は部活動です。今の中学校、高校では部活動への参加を強制しているところが目立ちます。部活動を「やめる」という選択肢があることを経験から伝える絶好の場所にするにはまずこの制度を変える必要があります。この制度改定をどうやってやるかをお話しするとあまりにも脱線しそうなのでまた次の機会でお話ししようと思います。ここではこの制度改定ができている、もしくはそもそもその制度がない学校であることを前提とします。僕が部活動を「やめる」という選択肢を経験から教える絶好の場所だと思う理由は、学校の活動の中で最も生徒の意思で選択している活動であるからです。このような場所で学生たちに「やめる」という選択肢もあるということを伝えた上で活動してもらうのです。ここで大事なのは転部も選択肢であることを伝えることです。こうすると、学生たちは何か部活動に不満がある時、「やめる」という選択肢を持っているという事実から自信を持って自分の意見を通すことができるようになります。こうして部活動での経験から「やめる」という選択肢を持っていることの大きなメリットを肌身で感じてもらうのです。

ふぅ、今回の記事は本当に長くなってしまった。ここまでで約4500字。うん、長い。

まとめ

僕のお話を最後まで読んでいただいた方、ありがとうございます!本当に嬉しいです。今回のお話は、教育の場面だけでなく、あらゆる場面で重要な考え方であると僕は考えています。教育だけにとどまらず、色々な場面で活かしてほしいと思います。まだ僕の中で完璧な回答になっていない部分についても今回お話しさせていただきました。ぜひ、皆さんの意見をお聞かせください。Twitterでもnoteでもいいのでコメントを残していただけたら僕なりの答えを全力で返信させていただきます。なお、Twitterに関して最近リプを頂いても通知が来ないということが起きたことがありますので、「ottyから返信がこない、、」と思ったらDMで教えてください、、、

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