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【ショートショート】テラダという男

「ねえ、時間ある?今から何すんの?暇じゃない? ?俺、テラダって言うんだけど。一緒に飯食おうよ、奢る奢る。何食いたい?俺は焼き鳥なんだよね、焼き鳥」

フライングするように辺りを照らし始めた街路灯。スタバの路面店の橙色した灯りが歩道にまで漏れ出す。太陽が地球の裏側へと消えた今、やっと月が存在感を発揮し始めて、街に夜が溶け出す。

うるさい男が西崎咲良の隣を並走する。 ただのナンパ男だ。咲良は慣れ切ったように無視して前を向き歩き続ける。この通りを歩くのは、だから嫌だった。

みんな自分の顔面、鏡で見てきた?
私のこといけると思った?

そんな男にばかり声を掛けられる。向井理みたいな男からは見向きもされず、ちょっとイケメンから外れた芸人のような男たちがこぞって追いかけてくる。

「焼き鳥嫌なら美味いモツ煮の店も知ってるわ、どう?今無性に食べたくなったんだけどさ、一人で食うのもなーと思って探してたんだよね、一緒に食べてくれる人。食い活、俺と一緒に食べるボランティアだと思って、まじで」

無視し続けてきた咲良はやっと、そのしつこさに顔を上げた。そこには少し想像してたのを上回るスーツ姿の男がいた。

向井理とまではいかないけど、イケメンから外れてる、とも言い難い。好みではないけど、生理的に受け付けない、とも言い難い。一瞥するつもりだったのに、思わず目が合ってしまった。

上がった口角と、下がった目尻。

「旨い物俺と一緒に食うだけ、どう?」

男はキレイに並んだ歯を覗かせるような笑顔を見せる。目尻から横に走る浅い笑いジワを見て、咲良は警戒心をつい解いてしまった。

男はテラダと言った。少し短めの髪はワックスで横に流され、小さな顔の中にバランスよくパーツが落とし込まれている。

「私は焼き鳥がいいです」

やっと放たれた咲良の声に、テラダは「よし」とキレのいい返しをする。

今日は早く帰って録り溜めていた連続ドラマを3話ぶっ通しで観ようと企んでいたのに、不意な登場人物によってその計画は断念せざるを得ない。

せめて1話だけでも今日中に観れるように帰ろう。

咲良は左手にぶら下がる華奢な腕時計で今の時間を確認し、寝る時間から逆算するように帰りの時間を割り出した。

テラダはそんな咲良を気に留める様子もなく、ズンズンと歩を進める。

テラダが選んだ店は横丁の中にある古く小汚い小さな焼き鳥屋だった。もう少しキレイな店舗を想定していただけに、匂いが染みつきそうなその佇まいに密かに戸惑う。

カウンターが8席、4人掛けテーブルが3つ並ぶだけで人とすれ違うのも困難なほど。

天井にくくり付けられた簡素なテレビ台の上では、いつも楽しみにしていたバラエティー番組が運良く流されていたが、その音声までは届かない。

狭い店内は既にほぼ埋まっていて、人数と時間帯にしてはやけに賑やかである。店員のおばちゃんが「今片付けるからね~」と言いながら台拭きで拭き上げてくれたカウンターの小さなスペースに二人は収まった。

テラダは席に腰を落とすなり左手でネクタイを緩め、右手にドリンクのメニューを持ち、「じゃあねえ」と早速品定めを開始した。

「俺は生」と言って、右隣に座る咲良に視線を投げる。

「私も生で」

咲良も同じテンションでおばちゃんに伝える。

生ビールとほぼ同じようなタイミングで枝豆が雑に置かれた。生ビールも枝豆も軽く衝撃を覚えるほど早く出てきたし、どちらもキンキンに冷えていた。

「はい、乾杯」

テラダが手抜きな乾杯の音頭をとる。ナンパに成功した後のテラダは口数が減り、ごくごく普通の成人男性と化していた。

釣った魚に餌はやらない男性脳によるものなのだろうか。

咲良はジョッキを口元に添えながら、男の目元を伺う。

「名前何?」
「西崎です」
「下の名前」
「咲良です」

ポツポツと途切れ途切れに会話が繋がる。不思議なことに、完全に黙り込む時間も少なく、気まずさもなかった。

この男はすごい。

咲良は、その「気まずさのなさ」はテラダの会話スキルによるものではないか、と仮説を立てる。

カウンター向こうからヌッと太い腕が出てきて、8本の焼き鳥の盛り合わせが二人の目の前に置かれた。無意識に惹かれた鶏皮を咲良は選ぶ。口に入れた途端、それはサクッと音を立てた。

う、美味い。

咲良は目を見開く。

こんなにパリッパリな鶏皮、食べたことない。ぶよぶよ感はまるでなく、それでいてサクッとジューシーがこの小さな蛇腹の中に共存しているなんて。

咲良が大きな衝撃を受けていることも露知らず、テラダは一本食べ終えてはすぐに次の串へと手を伸ばす。追いかけるように咲良は次にモモを選んだ。

これも当たりだ、大当たり。プリップリな身はもちろん、タレ!この店舗の小汚さに反して上品すぎる!主張が強すぎず、あくまで主役は肉であることをわきまえてるかのような滋味深さ。

この店を知ってたこの男、あなたは一体何者・・・?

咲良はそっと左に腰掛けるテラダに目を向けると、思わず目が合ってしまったので恋に落ちそうになる。

そう、焼き鳥に感動して何故か恋に落ちてしまいそうになったのである。

美味しいのは焼き鳥、作ってるのはこのハチマキがよく似合う店長。テラダはこの焼き鳥には直接的な関係はない。

恐る恐るもう一度テラダを見ると、もう既に4本目に差し掛かっているではないか。飄々と食べ続けるその姿。

この人、本当にただ焼き鳥食べたかっただけなんだ。

テラダはおばちゃんを呼び止め、ピーマンの肉詰めとチャンジャと軟骨、せせり、砂肝、ハツを全て2本ずつ、そしてホッピーとどんどん注文していく。

食べるぞこの男。こんなに痩せた体して、食べるぞ。

「なんか注文したいのないの」

涼しい顔して咲良にメニューを渡してきたものの、もうさっきテラダが注文したものだけでも結構お腹いっぱいになりそうだ。咲良はレモンサワーだけを追加する。

「咲良はさ」とテラダが口を開く。テラダは既に「咲良」という呼び方を自分のものにしていた。

「仕事何してんの」
「経理事務」
「経理かー」

そこにホッピーの瓶とグラス、レモンサワーが運ばれてきた。

テラダは嬉しそうにホッピーをグラスに注ぎ、焼酎と調合させる。似非ビールの完成。それをグイッと飲む。

「月末大変そうだねえ」と思ってもないだろう口調で言った。

話してみると、テラダは咲良の2個上、28歳と言う。

「いつもこうやって女の人連れて飲んでるの」
「いや、一人で飲みたいときは一人」
「決まった人はいないの」
「今いない」

テラダの人間関係は非常に淡白なものだった。誰かと飲みたくなったら今日のように引っ掛けて釣るらしい。無人島に生きる人間のようなものだった。

東京のど真ん中に、無人島。
こうしてたまに女を釣って飲み、リバース。
刹那的な関係をビーズのようにつなぎ合わせ、都会の真ん中に生きている。

「寂しくないの」
「楽しい」

そう言い切る口調は、どこか排他的な響きを纏う。

「休みの日は何してるの」
「ゲームして寝てる」

都度都度人間関係をリセットし構築しないスタイルを貫いているつもりなのだろう。でも今日は一人で食べたくなかった、というナンパしてきた心の片隅にある寂しさを、咲良は思い切り撫でてあげたくなった。

「そっちは」とテラダが聞き返す。

「いつも誰といるの」
「いつも一人」
「ほら、一緒じゃん」

思えば、上京してもうすぐ五年。友達という友達もいないし、恋人とは半年前に別れた。基本的に一人だ。仕事をしていれば孤独感は麻痺する。

「でも私は寂しさは感じるよ」

「たまに、寝る前とか」と付け足す。

舌にこびりついたチャンジャの風味を、レモンサワーが浄化してしまった。また生臭さが恋しくなってチャンジャを口に運ぶ。ああ、うま。

「私このまんまでいいのかなあ、どうやって生きてくつもりなのかなあって考え出すと、もう既に間違ったところにいる気がする」

消えてしまうと分かっていながらも、レモンサワーを流し込んでしまった。ほのかに残るカプサイシン。

「今の仕事を定年までやるつもりもないし、自分一人を食わせていける自信もないし、結婚できるかどうかも分からないし」

冗長な咲良のぼやきをテラダは笑う。

「たぶん、20代のほとんどが置かれた状況は一緒だよ」

クッと右の口角を上げたテラダは摩訶不思議な説得力を持つ。

咲良がテラダの口元に思わず見惚れてると、それに応えるようにテラダは大きく骨張った右手で咲良の頭を包んだ。心地良い掌の重みが咲良に安心感を与える。

「生まれた以上、生きてるだけで十分なんじゃないの」

そう言って、はらりと手を落とす。

「良く生きようとするから悩むんであって、死ぬまで生きようと思えば、まあ今の人生に満足できるね、俺は」

テラダはそう締めくくった。

二人は店を出た。滞在時間二時間。
さっきは振ってなかったのに、霧雨がパラついている。
テラダはそんな雨を気にする様子もなく道路に踏み出し、咲良はその後を追う。

カーディガンの表面の湿りが内側に浸透してきて不快に感じた頃、駅に着いた。

「今日はありがと」

テラダは目元にも笑みを浮かべ、そう言う。

「ううん、こちらこそご馳走さまでした」

咲良はゆっくり礼をした。

「じゃ」

テラダがスッと右手をあげ、バイバイと手を振る。

「じゃ」

咲良も同様に手を振る。咲良が先に名残惜しさを感じながら背中を向け、改札に向かって歩き出した。

ああ、もう少し、もう少し、一緒にいても良かったのでは?

咲良は改札を抜ける前に、思わず立ち止まり振り返った。その背中を探す。人ごみの中にひょこひょこと見え隠れする頭を発見。男は振り返る様子もなく、どんどん遠ざかっていく。

振り向け。

咲良は肩にかけたバッグの持ち手をギュッと握る。

振り向け、振り向け、振り向け。

連絡先すらも聞いてくれなかったその背中。もちろん振り向くこともない。咲良はただ見えなくなるまで目で追った。

しかし10秒も経たずに、完全に視界からその人は消えた。

もう一度、また、私を釣ってくれませんか。

心の中で尋ねる。

もし私がテラダを釣ったら、大事に大事に飼い育てたのに。

テラダが、スルリと手のひらをかわす魚に思えた。きっと彼は誰にも掴まることはない。

何も残らなかった手のひらに視線を落とす。

咲良もまた無人島に生きていた。

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