そんなに釣りが好きなら海の底で永遠に寝てろ

夫には愛してやまない趣味がある。
「釣り」である。

もちろん、インターネットの某掲示板にガセネタをばら撒いてそれに食いついた人々を大いに沸かせてから「嘘でした」とトンズラこいてパソコンの前で膝を叩き笑い転げる陰湿なイタズラの方ではなく。
正真正銘の釣りである。フィッシングである。

他にも麻雀やパチスロなどもあるが、とにもかくにも釣りである。

週末の夜は必ずといっていいほど友人を伴って防波堤や漁港へ旅立っていく。
平日でさえ時間があれば一人でもふらっと行ってしまうほどだ。
本当に己の趣味に関しては驚くほどに腰の軽い男である。

妻には釣りの良さは分からない。
まず妻は生きた魚が触れなければエサも触れないしそもそも魚を捌くことすらできないので、海のほうから遠慮願われてしまうタイプの人間である。

とはいえ夫の趣味そのものに口を出すつもりは毛頭ない。何が好きだってちっとも構わない。
水面に糸を垂らし、時間とともに表情を変える広大な海をただただぼうっと眺める時間はそれだけでも楽しいだろう。
未だ見ぬ獲物に思いを馳せてあれこれと画策するのはさぞ心躍ることだろう。
そして実際に釣れた時の喜びと達成感なんて、それはそれはひとしおだろう。
分からないなりにも、楽しみは理解できる。

しかしこのブログでこうして取り上げるからには、やはり問題があるのだ。というか問題しかない。

我が家には息子が二人いる。三歳の長男と、生まれてまだ二ヶ月の次男である。
後日改めて書こうと思うが、これがまあ手がかかる。
なんたって三歳とゼロ歳である。
まだまだ甘えたい盛りで順当にイヤイヤ期を辿っている長男と、とにもかくにも泣くことが仕事で夜中は三時間おきの授乳が必要な次男。

妻はほぼ二十四時間、常にどちらかあるいは両方に呼ばれている。
育児には、どれだけ体が健康だとしても眠さとしんどさが付き纏う。猫の手も借りたいレベルで。

その状況を踏まえた上で、夫が釣りに行くとする。
最近になってようやく子供たちが就寝してから出発することが多くなったので、その時間に出かけることに関してはまあいい。夫が家にいない方が当然妻は心穏やかである。

問題は帰ってきたあとなのだ。
基本的に夫が釣りから帰ってくるのは深夜から朝方にかけて。たまにだが朝の七時や八時になる時もある。
本来寝ている時間に起きていたのだから、当然夫は眠い。眠いので、寝る。
夫はよく寝る。どちらが新生児なのか分からないほど寝る。
そして起きない。どれだけ声をかけようとも、だ。

子供たちが朝起きて騒ごうが泣こうが走り回ろうが、夫は寝る。寝続ける。夫の耳は呪われている。
昼過ぎ、ひどいときは夕方になってから、ようやくのそのそと気怠げに起きてくる。

つまりその間、家の中に大人は二人いるはずなのに、子供たちの世話をしているのはたった一人なのだ。

誰でもいいから手を貸してほしいと叫びたくなるほどしんどい時に、遊び疲れて思う存分ぐうすか寝ている夫が視界に入る苛立ちといったら、それはもう筆舌に尽くしがたいものである。

父親と遊びたがる息子の居た堪れなさ、己の時間軸でしか生きられない夫への憤り。
全てが根深い恨みとなって、寝不足の体に蓄積されてゆく。
まだパソコンの前で大人しく「ネタでした乙www」とでも書き込んで笑い転げていてくれた方がマシである。


そんなものだから、妻は夫が「釣りでもしてこようかな」とのたまったその瞬間から夫の死を願ってメッカの方向に祈りを捧げる。

頼むから大いなる自然の力が働いて夫を海に沈めてくれないか。
頼むから幻の巨大魚が竿にかかって夫を海底に引きずりこんでくれないか。
それかもうシンプルに足を滑らせて落ちろ。そして見捨てられろ。頼むから。

魚を持ち帰ってきた時はまだいい。ホッケのフライは美味しいし、ヒラメの刺身やカジカ鍋も好きだ。
まだ一度もないが、メスのサケなんかを釣ってきた暁にはさすがに妻も夫の肩を叩いてご苦労様と手厚くねぎらってから海に沈めるだろう。
いくらは息子の大好物なので。

しかし自然を相手に現実はそううまくいくはずもなく、ほぼ毎回ボウズである。
ただただ海にドライブに行っておしっこして帰ってきた手ぶらの磯臭いおじさんである。

その磯臭いおじさんが、幼い子どもが二人いる家でずーっと寝ているのだ。寛容でいられるはずがない。本当なら出発したその瞬間にドアにチェーンをかけて眠りたい。

それでも妻は、今日こそその日かもしれないと一縷の望みにかけて夫を見送る。

数時間後にまたも五体満足で「俺だけ釣れなかった!」と笑いながら帰宅する夫に膝から崩れ落ちることになるとしても。

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