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『枯れ葉』/映画は人生を映し取っただの言うと陳腐が実際そうだから仕方ない。


フィンランドの監督アキ・カウリスマキが引退を撤回して作った6年ぶりの作品。引退撤回というと、ケン・ローチのように社会へのメッセージ含んだ作品(『家族を想うとき』のような)と思いきや、そういった要素はありつつも、基本的にはすごく「らしい」メロドラマ。余談だが、社会派的要素としては主人公の部屋にあるラジオから流れるウクライナ戦争のニュースがあるけど、あれ、字幕なしで観ても「ウクライナ」という単語が聴き取れるだけでおおよその内容がわかるという点ですごい表現だと思った。
さて、21世紀に入ってからのカウリスマキって、すべて同じ論評になってしまいそうで怖いのだけれども、今作も、濃い陰影と、無表情、無機質、けれどもとても人間くさい演技と、小気味良い省略、これらをひたすら楽しんだ。あと今作はダグラス・サークの影響が強かった。終盤の展開は完全にAll That Heaven Allows。
過去最高に陰影が濃かったのではないだろうか。アンサの着る服の赤も、部屋の壁の青も、ホラッパが飲み潰れたバーや待ちぼうけた映画館の灯りが消えた後の黒も。暗いとは違う。カウリスマキの濃い陰影の裏には強い光がある、と、変なニューウェーブバンドの演奏を観ながら思った。
要は、あの濃い陰影の向こうにどうしようもなく「人生」を感じ取ってしまう。もっと言えば、あの無表情にも、あの省略にも。これは僕が中年に差し掛かったからか?いや、でも大学生の時に今は亡きシネテリエ天神で『街のあかり』観た時にも人生を感じた。映画は人生を映し取っただの言うと、自分が歳をとったようにも、また映画評としても陳腐だとも思ってしまうけど、実際そうだから仕方ない。
あとは、主人公2人が出会った時のカメラのドリーからの切り返しとか、ホラッパがどれだけ待ちぼうけていたかがタバコの本数でわかるところとか(ここはバーでのワンショットの本数の多さとも対応)、全部好き。

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