見出し画像

先生が先生になれない世の中で(33) ~先生との出会い~

鈴木大裕(教育研究者・土佐町議会議員)

「なんで教員になったの?」

その一言で僕の計画は音をたてて崩れおちた。

2002年3月末の日曜日、自分が4月から赴任することになっていた千葉市の中学校を訪れた日。ひと気のない学校を案内してくれていた校長から紹介されたのが、K先生だった。「うちの剣道キチガイに会ったほうがいい」、と。

いま思えば、日曜日だったから他に紹介できる職員がいなかっただけのことだ。

K先生はポロシャツに短パン姿、そして裸足。後でわかったことだが、歳は僕のちょうど10上だった。最初にどんな言葉を交わしたのかは覚えていないが、「酒は?」と聞かれ、「大好きです!」と答えたのだけは覚えている。

それから、「うちの部活見ていく?」と誘われ、二人で道場に向かった。

静まりかえった道場は緊張感に満ちていた。誰もいないと思われた道場で、無言で足さばきの練習に打ち込む生徒たち。顧問もいないのに、中学生だけでこれだけ真剣に練習できるなんて……。

剣道はまったく知らない自分にも、レベルの高さが伝わってきた。と同時に、僕の隣に立っているK先生のすごさが、少しだけわかった気がした。一人の生徒が僕たちに気づいて挨拶をすると、気合の入った挨拶が次々と飛んできた。自然と背筋が伸びる思いがした。

そのまま練習を見学するのかと思いきや、K先生は控室に入っていった。「まあどうぞ。」
彼にうながされ、僕たちは畳の上に向き合うように座った。そして、K先生が最初に放ったのが、冒頭の言葉だった。

5分前に会ったばかりの人間から、登校初日にそのような質問がくるとは予想もしていなかった僕は、思わずひるんだ。

ちなみに剣道では、試合における最初のひと振りのことを「初太刀」と言う。そして、その後の教員生活の中で、K先生が「初太刀が大事」と剣道部員に指導するのを僕は何度も聞くことになるのだが、まさに初太刀で面を打たれた気分だった。

足さばきの練習が終わったのだろう。道場からは、沈黙を切り裂くような部員たちの奇声が一斉に聞こえてきた。

いま思えば、剣道場控え室の畳の上で向き合った時点で、すでに「勝負あり」だったのだ。廊下での立ち話でもよかったはずなのに、K先生はあえて道場に僕を連れてきて、練習にとりくむ彼の生徒たちを見せたうえで、僕に尋ねたのだった。その後の教員生活で僕は彼にこう教わることになる。

「生徒と大事な話をする時、どんな場所で、どんな立ち位置で、どんな表情で、どんな言葉をかけるのか、緻密に計算したうえで話をするんだ。」

まっすぐ僕の目を見つめる彼のまなざしに、僕は「逃げられない」と感じると同時に、直感的に「彼には本当のことを伝えたい」と思った。

少し間をおいて、僕はすべてを話す決意をした。

16歳の時から大学院まで、ずっとアメリカに留学していたこと。
留学先の高校での、ある先生との出会いが自分の人生を変えたこと。
それを機に、それまで自分が受けてきた日本の教育に疑問を持ちはじめ、いつか日本の教育改革に携わりたいと思うようになったこと。
そのために学問の道を志したこと。
でも、理論の世界に入る前に、まずは自分の目で現場を見ておきたかったこと
。アメリカの大学・大学院で取得した教育学の単位が認められず、日本の大学の通信教育で単位を取得しなおし、晴れて28歳で教員になったこと……。

どんな答えが返ってくるのだろう。ドキドキしていたら、また驚かされた。

「なかなかいいセンスしてるよ。」

K先生との出会いが、僕の計画を狂わせはじめた。
それは、スパイとして忍びこみ、研究者の客観的な目でいまの日本の教育現場を観察することだった。それが、K先生と出会い、「自分も生徒たちとあんな人間関係をつくりたい!」と思うようになってしまったのだ。

もともと子どもが好きだったこともある。日々、目まぐるしいほどのドラマが勃発する思春期の子たちとのドロドロした生活につかるうちに、客観性と呼べるものはすべて失ってしまった。

また、自分が思い描いた教員像もすぐにどこかへふっ飛んでいった。
いつもスーツをビシッと着てクールな英語教師。……いやいや、実際には、常にジャージを着て、肌は年中真っ黒。休み時間には生徒たちとサッカーをするような野球部の熱血顧問で、体育の先生とよく間違えられたものだ。他にも、夜と週末は自分の教育の勉強にあてるつもりだった。実際には、夜はたまった事務作業、授業の準備、野球部の練習メニューの作成などに、そして週末の時間は練習や試合にあてられた。

「朝一番に学校に来て、最後に門を閉めろ。」
今日では簡単にパワハラ認定を受けるであろう、そんなK先生の教えを守り、朝6時半に登校、家に帰るのは夜10時をまわる生活が続いた。(つづく)


鈴木大裕(すずき・だいゆう)教育研究者/町会議員として、高知県土佐町で教育を通した町おこしに取り組んでいる。16歳で米国に留学。修士号取得後に帰国、公立中で6年半教える。後にフルブライト奨学生としてニューヨークの大学院博士課程へ。著書に『崩壊するアメリカの公教育――日本への警告』(岩波書店)。X(旧Twitter):@daiyusuzuki

*この記事は、月刊『クレスコ』2024年6月号からの転載記事です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?