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言葉のともしび(演出家・城田美樹)――『夏の雲は忘れない』より

写真提供:夏の会(舞台「夏の雲は忘れない」より)
 戦後75年の夏。被爆者の平均年齢は83歳を超えるといいます。
 大月書店ではこの7月に、被爆した子どもたちの言葉を読み継いできた女優たちの原爆朗読劇『夏の雲は忘れない』を書籍化しました。
 被爆者が残した言葉をどう継承していくのか――。その糸口になることを願いながら、原爆忌にあたって、演出家・城田美樹さんによる本書の解説「言葉のともしび」を公開します。

『夏の雲は忘れない』に寄せて

 今改めて命の尊さを考えるときが来ていると思います。私たちが当たり前と思って暮らしている日常は当たり前ではなく、かけがえのない尊いものであるという気づきが、国籍や世代を超えて本当に共有される時代が来たと感じます。

 『夏の雲は忘れない』。この作品は一九四五年八月六日と九日、広島と長崎に投下された原子爆弾により家族を失った子どもやお母さんの手記、亡くなった子どもたちの最後の言葉などを、朗読のための台本としてまとめたものです。
 二〇〇八年の初演から二〇一九年、この台本を編集した女優たちのカンパニーである「夏の会」が解散するまで、この作品はいくたびか改訂を重ねながら、全国各地で読み継がれてきました。
 戦争を肌身で知る世代の女優と、戦後生まれの両親から生まれた子どもたちが同じ舞台に立ち、平和の大切さを共に伝えてきたのです。

夏の雲は忘れない_4C

「夏の会」について

 「夏の会」はもともと、演劇制作体「地人会」が一九八五年から二三年にわたり上演し続けてきた朗読劇『この子たちの夏』(構成・演出 木村光一)に参加していたメンバーにより結成されました。被爆した母子の手記を六人の女優が読み継いでいく、シンプルな構成のこの舞台は、多くの人々の心を打ちました。
 しかし二〇〇七年秋、「地人会」解散に伴ない、公演続行は不可能となりました。それでもなんとかこの活動を続けたいと有志の女優たちが集い、一八名で新たに立ち上げたのが「夏の会」です。
 二〇〇八年、女優たちは新しい朗読台本を作るため、手記や詩をみずから探して集めました。劇団や所属事務所などの垣根を超えて協力し、不慣れな制作や経理を自分たちで行い、全国各地の主催者たちと一緒に活動を開始したのです。
 「戦争を知る世代の人間として、これだけはどうしても伝えていかなければならない」。女優たちを突き動かしたのは、平和への強い意志でした。
 結成当時のメンバーは、岩本多代、大橋芳枝、大原ますみ、大森暁美、長内美那子、川口敦子、北村昌子、神保共子、高田敏江、寺田路恵、中村たつ、日色ともゑ、柳川慶子、松下砂稚子、水原英子、山口果林、山田昌、渡辺美佐子、以上の一八名です(敬称略)。
 ※『この子たちの夏』は二〇一一年から「地人会新社」に引き継がれ、戦後世代の女優たちが朗読する形で、現在でも上演されています。

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写真提供:夏の会(子どもたちの最期の言葉を朗読する)

戦争を知らないという壁

 私は戦争を知らない世代の母から生まれました。ですからこの作品の演出を頼まれたとき、私でいいのだろうかと何度も自問しました。女優たちも不安だったと思います。私は人生経験も浅く、戦争についても乏しい知識しかありませんでした。それが当時を知る女優たちの朗読を演出するなんて、無謀もいいところだと思いました。
 けれども女優たちが情熱をこめて集めた、膨大な量の被爆体験記や詩を読むにつれ、未熟だろうとなんだろうと、これはやらねばならないことなのだと決意しました。

 「戦争を知らないあなたにはわからない」。稽古中、私はある女優からそう言われました。「あなたに何がわかるのですか?」と、公演先の戦争体験者の方からも言われました。与えられたその言葉は紛れもなく正論でした。私は悩みました。
 でも悩んでも仕方ありません。その事実を立脚点として向き合っていくだけでした。わからなくても想像することはできます。私は正しく想像できるようになろうと、とことん資料を読み(それは本当に膨大にあります)、頭がおかしくなりそうになるまで原爆投下の日にあった事実について体に浸透させました。
 過去の事実を知ることはひどい痛みを伴いましたが、それを知らずにいるという恐ろしさの前では比較になりませんでした。
 私は言葉と向き合い、共感し、泣きじゃくりました。広島・長崎の被爆地の遺構を訪ね、被爆者の方からもお話をうかがいました。
 そうするうちに私は「追体験」していったように思います。もちろんそれは二次情報にすぎず、実体験者の存在の重みの前では沈黙せざるをえません。それでも「あの日を語る言葉たち」は、それでいいから伝えてと、私を後押ししてくれました。

 戦争中、少女だった女優たちも私に、当時の体験を話してくれるようになりました。お腹が空いてたまらなかったこと、焼夷弾が落ちてくるのを見たこと、防空壕の中で歌を歌ったこと、軍需工場で〈お国のために〉働いていたこと、意味もわからず覚えさせられた天皇崇敬の文言、〈敵を殺すために〉励んだ竹槍訓練など。体に染み込んでいる記憶はどれも鮮かで、私は毎夏、価値観を塗り替えられるほど、生きた言葉で女優たちからリアルな戦争を受信させてもらったのです。そしてだからこそ「戦争はいけないのだ」ということを心の底から実感したのだと思います。女優たちが三十余年にわたり、ライフワークとして伝えざるをえなかった平和を希求する思い。それを私は確かに受け取ったのです。

「継承」という課題

 「夏の会」の女優たちが続けてきた活動を通して、記憶のバトンは全国各地で継承されていきました。人が肉声を通して語る言葉には、人の心に訴える力があります。たとえそれが当事者の言葉でないとしても。
 学校の生徒さんたちにとっては、とりわけ影響力が大きかったと思います。『夏の雲は忘れない』の舞台では、上演先の地域の子どもたちが一緒になって朗読しました。彼らは必然的に、書かれた言葉のバックボーンを想像して読むことになります。このとき、自分の体を通して読むことで擬似体験し、書かれたことが他人事とは思えなくなるのです。
 友人が朗読するのを聞いた生徒たちも同様です。親しい友人の言葉として聞くことで、遠い世界の出来事だと思っていた戦争が急に身近になり、そのため彼らはこんなふうに自問するようになります。

「こんなことが本当にあったなんて」
「なぜこんなことになったの?」
「もし、これが自分だったら?」
「どうすればこんなことがなくなるのか」
「当たり前に思えていた日常は当たり前ではないのかもしれない!」

 一九四五年の出来事が過去ではなく、現在と地続きの事実として生き生きと継承されていく瞬間に、私たちは何度も立ち会いました。教科書的に教えるのでは伝わらない、体を通した学び。それをもたらす力が原爆体験を綴った朗読にはあるのです。
 子どもたちが書いてくれた感想文や公演後の交流会での意見交換を通しても、私たちはそれを実感しました。誠実に手記と向き合い、朗読してくれた子どもたち。その一人一人から進むべき道の確かさを教えられたのです。

女優と朗読

 「私たちは代読しているだけ。この作品はうまく読もうとかそういうものではない」
 ある女優は公演後の交流会で、どうしたら上手に朗読できますかという質問に対して、そう語りました。
 実際、彼女たちの朗読は、女優の体を借りて「言葉を書かざるをえなかった人たち」が直接語りかけてくるようなものでした。女優という仕事は他人を演じる職業ですが、この作品での彼女たちのスタンスはまったく違いました。
「女優の顔」はいらないのです。「演技」はいらないのです。「女優の感想」も表れてはいけない。ただ事実をそのまま伝えること。舞台では女優が主役ですが、ここでは言葉が主役なのです。そして彼女たちはみな、常にそうあるべく「代読」に徹したのです。
 それでも不思議なもので、朗読の向こう側から女優たちの生き様が透けて見えてきました。その人でなければできない言葉の伝え方やニュアンスというものがあり、同じ手記でも別の女優が読むことで違う角度のリアリティーがにじみ出てくるのです。一つ一つの公演が、一期一会の言葉と人生との出会いでした。

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写真提供:夏の会(上演後に交流する女優と生徒たち)

支えてくれた人たちと共に

 毎夏、女優たちは重いキャリーバッグをみずから引いて、全国各地を旅してまわりました。女優たちと思いを共有する主催者さんたちが各地で待ち受け、親身になってサポートしてくれました。
 主催者と子どもたちと女優をつないでくれたのは、制作補佐としても動いてくれた若手の女優たちです。彼女たちは先んじて子どもたちに朗読指導をし、舞台上でも一緒に読み継いでくれました。スタッフも同様です。志を共にし、作品への意見を出し合い、家族のように旅をしながら、伝えるために尽力してくださいました。本当にありがとうございます。

言葉のともしび

 耳を傾けなければならない。何度でも。
 この言葉たちは眠っていないから。

 「戦争はやめてほしい」と言った広島一中の藤野博久くん(「星は見ている」本書九二ページ)。
「どうして戦争なんか起きるのでしょうか、止めてほしいなあ、日本にない物はアメリカから送って貰い、フィリピンにない物は日本から送ってやり、世界が仲よくいかんものかしら。そしたら世界が一つの国家になって、世界国亜細亜州日本町広島村になるね」
 あなたの言葉は実感を持って、私たちの心に迫まります。

 私たちは個人でありながら、同時に一つの大きな生命体としてこの星に存在しています。どの命も区切ることはできません。テリトリーを作って防御し、自分たちだけがよければいいという発想では、もはやどの国も生き残っていけない流れが押し寄せてきています。

 私たちは今、生かされています。
 それは本当に奇蹟です。尊いことです。この命を尊重し、生き切っていきたい。
 と言いながらも私は、自分だけを正義とする「小さな戦争」を心の中に見つけるときがあります。当事者意識を持たず、与えられた情報だけを鵜呑のみにして行動してしまいそうにもなります。そのたびに私は「あの日の言葉」に立ち帰り、自分を軌道修正します。

 この本の言葉の中には、未来を生きる指針となる「ともしび」が、確かに灯っています。「夏の会」の活動は終わりましたが、女優たちも私もそれぞれのやり方でこの火を絶やさぬよう行動を続けています。
 みなさんとこの本を通じて、「言葉の火」を分かち合えたことに心から感謝します。
 過去は眠っていません。それは今ここに、私たちの命を、共に生きています。

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