先生が先生になれない世の中で(35) ~だって先生わらってたから~
Cが中学校女子個人日本一に輝いたことをふり返って、K先生はこんなことを言った。
「もし、団体で全中(全国中学校剣道大会)に出ていたら、あいつは、あそこまで自分の力を発揮することはできなかっただろう。」
後日、Cに直接話を聞いたら、驚くことに本人も同じことを言っていた。みんなと出ていたらきっと甘えが出ていた、と。ずっと一緒にやってきたチームメイトたちと、団体戦で全国大会に出るという目標は叶わなかった。それどころか、チームが負けたのは自分のせいだったと、今でも感じている。そのことが、彼女を大きく変えた。
剣道の素質には、部の中でも特に光るものがあった。だが、K先生はあえて彼女を大将にはしなかった。3本勝負で戦う団体戦では、前の4人(先鋒、次鋒、中堅、副将)で勝負がつかない場合は、すべての重圧が最後の大将にかかる。チーム全員の気持ちを背負えるほどメンタルの強い子ではない。K先生はそう読んだ。
代わりに、先生は中堅のポジションを彼女に与えた。ただ、強い彼女が中堅を務めることには特別な意味があった。あえて「勝って当たり前」という位置に彼女を置いたのだ。仮に前の2人が負けても、中堅が勝てば勝負はまだわからない。逆に言えば、強豪相手には、自分が負けたらチームも負ける可能性が高くなる。
「勝って試合をつないでこい。」
K先生が彼女に身につけさせたかったのは、人の想いを背負う強さだった。
それでも、千葉県大会の大事な試合で彼女は引き分け、チームは負けた。そして相手は、その夏、全国準優勝に輝いた。
Cにとって、チームで唯一、個人戦での全中切符を手に入れたことが、この上なく大きな試練となった。熊本県でおこなわれた全国大会には、チームメイトを含め、多くの人が千葉から応援に駆けつけた。今までみんなとやってきたのに自分だけ……という申し訳ない気持ちと、自分一人のために多くの人たちが熊本まで来てくれたことに対する感謝の気持ちが混ざり、複雑な心境だった。もう、逃げることも、甘えることもできなかった。
大会初日、自分の試合がいよいよ始まる前、彼女は周りの選手たちを見て、こうK先生に言った。
私はこの中で一番弱い。でも私を応援してくれるすべての人たちの想いを背負って、精一杯がんばってこようと思う。
試合が始まると、緊張しつつも自分の剣道である「攻め崩して打つ!」を課題に1、2回戦と順調に勝ち進んだ。
3回戦ともなると、さすがに相手も強い。1、2回戦同様に1本目はとったが、すぐに返された。だが、最後は彼女らしいまっすぐな面をとってきた。
4回戦はベスト8を懸けた試合で、最終日に駒を進められる大事な試合だった。相手は福岡チャンピオンだ。この時、ハプニングが起こった。運営サイドの伝達ミスで、彼女の入場が大幅に遅れたのだ。応援に来たチームメイトが慌てて呼びに来るまで、K先生も試合のことを知らず、急いで入場ゲートに向かった。K先生はどんな言葉をかけるべきか迷ったそうだ。絶対に焦るなと言えば逆に集中できないのではないか。お前のせいではないからと言ったところで、気休めにしかならないのではないか……。
その時、彼女が控室のほうから歩いてきた。慌てている様子はない。むしろ落ち着いているようにすら見えた。そして、まるで先生の心の内を悟ったかのように、こう言った。
「先生、わたし大丈夫。」
以前同じようなことがあった時、心を乱した先輩たちが先生に叱られていたのを彼女は覚えていたのだ。
あの場面で中学生にそんなことが言えるのか……。K先生は少女の成長に心底驚いた。そしてこの時のことを、「一生忘れられない瞬間」とふり返った。
試合場に行った時には、会場は非常事態にザワつき、審判も相手も相当イラついていた。
これはよほどしっかり打たないと旗が上がらないぞ……。そんなK先生の読み通り、良い所で技が出ても審判の旗はピクリともしない。それでもCは自分の剣道をまっとうし、攻めつづけた。相手も強い。延長戦でも決着はつかず、10分を超える試合に審判主任の判断で今大会初の「水入り」(休憩)となった。
その時K先生は、死力を尽くす教え子を前に、勝っても負けてもすべてを気持ちよく受け入れようという、それまで味わったことのない境地を感じていた。
Cはといえば、一瞬K先生のほうを向いただけで、休憩の間も相手から目を離さなかったそうだ。だが、その一瞬が彼女を勝利に導いたのだった。
休憩終了後、「はじめ!」の号令の直後だった。彼女らしいストレートな面で死闘は終わった。
戻ってきた彼女にK先生が、お前よく打ったなと言うと、彼女は答えた。
「だって先生わらってたから……。自分の感覚を信じろって言ったじゃない。先生がわらってたから自信もって打てた。」(つづく)
*この記事は、月刊『クレスコ』2024年8月号からの転載記事です。
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