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先生が先生になれない世の中で(34) ~不登校から日本一~

鈴木大裕(教育研究者・土佐町議会議員)

K先生は、よく過激なことを言う。

幼少期から「天才卓球少女」としてテレビにも出演し、当時中学生だった福原愛を引き合いに出し、若い教員にこう尋ねるのだ。

「もし、卓球の福原愛ちゃんがおまえのクラスにいて、授業中に寝てたらどうする?」

「注意します!」と若手が威勢良く答えると、K先生は予想通りの答えに「あ~~」とガックリため息をつく。

何度このやりとりを見たことだろう。

K先生ならどうするのか。
「そのまま寝かせておく」と言う。
それに対してまわりの子が文句を言ったら?
「きっと練習でへとへとになってるんだから、寝かしといてやれ。」

そのかわりに、目を覚ました時に彼は愛ちゃんにいろいろ教えてもらうと言う。練習のこと、普段の生活のこと、試合での駆け引きのこと、大会前のコンディション作りのこと……。そのような彼女の体験談が、同世代の子たちに与える影響は計り知れない。生徒一人ひとりの人生がある。それも知らずにうわべだけで注意したり可愛がったりするんじゃない。その子を知り、良さを認め、人生において勝負できる術を持たせることが大事なんだ。K先生にはそう教えてもらった。

K先生が言うことは、すぐにはわからないことが多い。
時間が経った今、愛ちゃんのケースを考えてみると、彼女のように日本や世界の第一線で活躍する子には、きっとすでに「先生がいる」ということだと思う。自分一人でそこまで強くなれるような子はいない。自分を「発見」してくれ、未知の可能性を信じてくれる誰かとの出会いがあり、その人を信じ切ることで子どもは一流になっていく。

だから、もし愛ちゃんが自分のクラスにいたとしても、きっと彼女は他にいる「先生」のもとで技を磨き、他の子たちよりも先に人生の大勝負を始めている。だからそれでいいのだ。

そんな子と出会った教員にできることと言えば、必死に勝負している彼女をあたたかく見守ることくらいだ。

2009年の夏、K先生の指導のもと、Cという一人の女の子が中学校剣道女子個人の部で日本一になった。もともと不登校だった子だ。

Cは小学生の頃、担任の先生に算数ができないことでいじめられ、そのうち学校にも行けなくなった。彼女を支えたのは家族と、好きで続けていた剣道であり、剣道を本気でやれる学校環境が中学校に通うための絶対条件だった。そんななか、剣道の指導ならK先生という評判を聞き、うちの中学校にやってきた。自分の学区からはほど遠い中学校だった。

日本一になるような子は、他の子にない「なにか」を持っているのだと思う。例えば、水泳の北島康介を育てた平井コーチが、なぜ北島を育てようと思ったか。それは彼が水泳で他の子どもたちから抜きんでていたわけではなく、彼の眼がギラギラしていたからだという。Cもまた、他の子とは違う強さがあったのだろう。そして、それが小学校の担任には理解できなかったのだろう。算数ができないというだけで、可愛がることもせずに、彼女を潰してしまったのだ。

中学校に入ったC。部活も学校もがんばる日々が2、3か月続いた。しかし、徐々に授業に出るのがつらくなり、遅刻が増えた。数学の時間になると、昔のトラウマで教室に入れなくなった。そしてとうとう、放課後の部活しか来られなくなった。

Cが部活だけ参加することについては、職員会議で批判が噴出した。
学区外の子を特別待遇するのか。
甘やかすことになるのではないか。
他の生徒に悪影響を与えるのではないか……。
なかには、「そこまでして勝ちたいのか」とK先生の陰口を叩く教員もいた。

なんと言われようが、K先生は必死にCをかばった。

教員はみな正しいことを言う。
子どもに間違いを教えてはいけないという職業柄、そのように訓練されていくのだ。ただ、一般的には「正しい」答えが、必ずしも目の前の子のためになるとはかぎらない。

K先生は、一人ひとりの生徒にまったく別のことを言う。
生徒、状況、その生徒との信頼関係、それまでの指導の経緯によっても、応対は変わってくる。授業中、一人の生徒があることをして褒められたのに、別の生徒が同じことをしても叱られたりする。「差別だ!」と言われると、「ばかやろう、これは区別だ!!」と言い返し、教室が笑いに包まれる。

まわりの教員がCの扱いについて述べた苦言は、どれも正しかった。確かに特別扱いだったし、普通なら甘やかすことになっていただろうし、まわりの子たちへの影響も考慮する必要があった。しかし、誰がその子の経緯を詳しく知ったうえで、その子の将来を考え、「ここが彼女の人生の分岐点だ」と見極めていただろうか。

少なくとも、その子の面倒を全部見る気持ちでいたのはK先生だけだった。実際、Cがそのまま不登校になっていたら剣道も辞めていただろうし、今の彼女はなかった。そして、二人の関係は今日まで続いている。

今だからわかるが、K先生は心の中で、「特別扱いして何が悪い?」と言っていたのではないだろうか。「本来なら、一人ひとりを深く理解したうえで、すべての子どもを特別扱いするのが教師のしごとでしょうよ」。そんな彼の声が聞こえてくるようだ。(つづく)

鈴木大裕(すずき・だいゆう)教育研究者/町会議員として、高知県土佐町で教育を通した町おこしに取り組んでいる。16歳で米国に留学。修士号取得後に帰国、公立中で6年半教える。後にフルブライト奨学生としてニューヨークの大学院博士課程へ。著書に『崩壊するアメリカの公教育――日本への警告』(岩波書店)。X(旧Twitter):@daiyusuzuki

*この記事は、月刊『クレスコ』2024年7月号からの転載記事です。


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