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自分の不完全さを受け入れることが強さなのかも


専門学校に入学して約2ヶ月。

未だにペースを掴めていなくて、自分の容量の悪さに心苦しくなる時も多いです。



ここ数年で、自分は完璧主義なところがあるんだと知りました。

やるからには上手くできなきゃいけない
→自分は何もないから上手くいくわけがない
→どうせ失敗するのだからやめておこう

という思考癖があります。


だから今も、課題に取り組む度に「こんなんじゃダメだ」と自分で厳しくして、何回もやり直して、納得できなくて、無駄に時間をかけて、睡眠時間や生活にまで課題に関することが侵食して、結局間に合わないこともあり……

本当に最悪のスパイラルです!!!




そんなことを面談の際に先生に話したら、

「質を求めるより沢山こなすべき。
上手く出来ないのなんて当たり前。
どれだけ時間をかけたって、
正直そこまでクオリティーは変わらない。
"次はこうしてみよう"とか"こうやったら上手くいくかもしれない"と学んでいくことが大事」

というような言葉をもらいました。


先生と話している時に思ったのですが、
私は自分ができないという事実より、
"この人は下手くそだ"と思われること
何より怖くて恥ずかしいのだとはっきり気付いてしまいまして。



めちゃくちゃ他人軸で生きているということになり、そりゃあ生きづらいわけです。



なぜ他人軸になってしまうのかを考えたのですが、自分なりの結論は、私が割と人に興味がある人間だからです。


なのでnoteは私にとって天国です。
どこかの誰かが考え感じたことをほぼ無限に読めますし、芸能人などのエッセイ、インタビュー、作品の裏話とか制作秘話も大好きでつい読み込んじゃいます…📚

どんなことに関心がある?
何が好き?
どんな人生を送ってきたの?
これからどうやって生きていきたい?

そんなことを、会う人全員に聞きたいぐらいです。
すれ違う人や電車の横にいる人の人生を想像したりもします。


どんな仕事をしてるのか?
子供時代は何が楽しかったのか?
人生で何を大事にしているのか?



特に結婚指輪をしている人を見ると、どこで出会ってどんなところを好きになって、永遠に添い遂げると決めたのだろうか?と想像します。
(客観視すると、とても気持ち悪いですね😂)



挑戦を恐れることに対して「どうせ他人のことなんて誰も見ていないよ」と世間的によく言うと思うのですが、残念なことに私は他人のことをめちゃくちゃ見ているので自分も他人の目を気にしてしまうのです…


この人はどうしてこういう作品を作ったんだろうだとか、上手いな下手だなとかも正直思います。
そして、割とずっと覚えてます。


そのため、「恥ずかしさ」を乗り越えることが今の私の課題なんだと知りました。


しょうがないじゃん、初心者なんだから!と、自分の不完全さを受け入れる。
出来ない自分を誰かに見せる。

それを乗り越えていつか花を咲かせられればいい。


恥ずかしさを抱えながら歩くことはいまの私に一番必要なことだけれど、本当に本当にそれはストレスで。さっさと殻を破りたいです。


「仕事でも学校でも、
結局やる人とやらない人がいる。
本当に、ただそれだけ」

先生がそう言っていました。


やる人に、ならないと。いや、なりたい。

がんばります。




画像お借りしました。
ありがとうございます🙇‍♀️

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