僕らと命のプレリュード 第8話
「ここが医務室だ」
翔太は玄関のすぐ隣にある部屋の扉をノックする。すると、部屋の中から間延びした返事が聞こえてきた。
「はーい。どうぞー」
部屋の中に入ると、丸眼鏡を掛けた、お団子頭の女性がパイプ椅子に座っていた。女性は眠たげな表情で聖夜を見ると、のんびりとした声で呟く。
「おや、これは酷いなぁ……」
女性は、ゆったりとした足取りで聖夜に歩み寄る。突然近寄られて、聖夜は表情を強張らせた。しかし、女性はそれを気にも留めない。
「待ってね、今治してしまおう」
そう言って女性が聖夜の顔に触れると、みるみるうちに腫れが引いた。
「はい、おしまい」
「え!もう治った!?」
聖夜は自分の顔を撫でながら目を丸くする。確かに、顔の腫れは引いていた。その様子を見ていた柊も唖然としている。女性は2人の様子に動じる様子もなく頷いた。
「顔はね。他に痛むところは?」
「えっと、みぞおちも殴られてて……」
「どれどれ……」
女性は聖夜の服を容赦なく引き上げた。女性の突然の行動に、聖夜の顔は真っ赤になる。恥ずかしかったのだ。
「う……!?」
「あー、なるほどね。骨は折れてないようだ」
女性はそう言ったものの、聖夜のみぞおちは大きく内出血していた。その痛々しい様子に、傍にいた翔太は顔を顰める。
「大丈夫だと思うけど……ここも一応治しておこうか」
女性が触れると、内出血がみるみるうちに治った。
「痛まない?」
「は、はい……」
赤くなりながら服を戻す聖夜を見て、柊は笑いを堪えるのに必死だった。一方の翔太は、聖夜に気の毒そうな顔を向けつつ、フォローを入れる。
「清野さん、こいつ初めてですから……」
翔太がそう言うと、女性は、はっとして口元を手で隠した。そして、まだ顔を赤くしている聖夜に向かって微笑みを向ける。
「これは失礼。私は清野やよい。特部中央支部医務室で働いているよ。怪我や体調不良の際は遠慮無く訪ねてくれ」
「この通り変わってるけど、腕は確かだから安心して良い」
翔太はそう言って、戸惑う聖夜の方を見た。まだ何とも言えない恥ずかしさが消えないのか、聖夜の顔は赤いままだ。
「宵月聖夜です……よろしくお願いします……」
「宵月柊です……よろしく……ふふっ……お願いします」
警戒したままの聖夜と、笑いを堪えている柊に、清野は平然と頷いた。
「うむ。回復反動があるから、聖夜君は少し休んでいくと良い」
「回復反動?」
聖夜が首をかしげると、清野は落ち着いた様子で解説する。
「私のアビリティ『回復』はね、平たく言うと体が持ってる『治す力』を最大限に引き出す能力なんだ。だから、反動で疲れが出るんだよ」
「言われてみれば……何か眠くなってきたかも……」
「奥にベッドがある。そこで休むといい」
聖夜は戸惑いながらも頷いた。
「じゃあ、私達先に戻ってるね」
柊と翔太を見送って、聖夜はベッドに横になり、布団を被って目を閉じた。医務室に飾られた掛け時計の、秒針を刻む規則正しい音に眠気を誘われる。任務の疲れもあったのか、布団に入って5分も経たないうちに、聖夜の意識はふわりと途切れた。
* * *
気がつくと、聖夜は病院の廊下に立っていた。なぜ自分が病院にいるのか分からなかったが、不思議とそんなことは気にならなかった。
(ここは……)
聖夜は辺りを見渡す。
(知ってる場所だ。確かここは……)
昔の記憶を辿りながら、聖夜は廊下を歩く。能力症病棟と記されたフロアマップと、その傍にあるエレベーター。そして、大部屋になっている二部屋の病室。それらを通り過ぎた先にある個室の前で、聖夜は立ち止まった。
(ここだ)
聖夜が立ち止った病室の表札には、宵月しおりという名前が記されている。
(母さんの病室……)
聖夜が病室に入ると、そこにはあの日の光景が広がっていた。
「聖夜、柊……」
病気で寝たきりになっている母が、幼い頃の2人を見つめて口を開く。顔も体も痩せ細っていたが、その瞳には、強く優しい光が灯っていた。
「誰かのために、頑張れる人になりなさい」
「お母さん……ぐす」
幼い柊がすすり泣く声が聞こえる。その隣で、あの日の父が泣きながら母の手を握っていた。
(ああ、これ夢だ)
そう気がついたとたん、意識が遠のき始めた。
(あれ、そういえば俺……この時、どうしてたんだっけ)
聖夜はふと思ったが、まどろむ意識に飲み込まれていった。
* * *
聖夜が目を開けると、そこは医務室だった。身体を起こして、ふうと息を吐く。睡眠をとったことによって任務の疲れもとれたのか、全身が軽い。
もう大丈夫そうだなと思い、聖夜はベッドから降りた。
そして、清野に軽く挨拶をして医務室を後にすると、廊下で真崎とばったり鉢合わせた。
「あ、真崎さん」
「聖夜君!怪我はもう平気?」
心配そうに尋ねる真崎に、聖夜は笑顔で頷く。
「うん。清野さんに治してもらったから!」
「そっか、よかった……」
真崎は安心した顔で胸をなで下ろす。しかし、顔色が優れない。心配になった聖夜は、真崎に尋ねた。
「真崎さんこそ、大丈夫ですか?」
聖夜の言葉に対して、真崎は苦笑いする。
「琴森さんにオペレーションの基礎をもう一回叩き込まれちゃったんだ。ごめんね、不甲斐なくて」
「そんなことないですよ。俺も任務ではヘマしちゃったし……」
「そんな、あれは私のミスで……」
何度もお互いを庇い合いながら、2人は笑った。
「これじゃ埒が明かないね」
「あはは!ほんとだ。……そういえばさ、真崎さんは、どうして特部でオペレーターをやろうと思ったんですか?」
「私?」
聖夜が頷いたのを見て、真崎は真面目な顔になって答える。
「弟の苦悩を、少しでも分かってあげたくて」
「弟?」
「そう。……私の弟、特部だったんだ。すごく明るくて、正義感も強かったの。でもある日、大怪我をして半身不随になって帰ってきて……それ以来、弟はずっと塞ぎ込んでいて」
「そんな……」
「特部で働いたら、弟の気持ちが分かる気がしたんだ。私は、弟が見てた世界を何も知らないから、少しでもそれを知ることができたらって」
「そうだったんだ……」
聖夜の苦しそうな顔を見て、真崎は、無理やり笑顔を作って言った。
「まだまだだけど、頑張るからね」
絶対に、強くなる。オペレーターとして成長して、弟の世界に寄り添ってみせる。そんな決意の滲んだ笑顔を前にして、聖夜も力強く微笑んだ。
「俺もまだまだ戦いなれてないけど、いつか誰かを守れるようになる!だから、一緒に頑張りましょう!」
聖夜の言葉を聞いて、真崎はしっかりと頷いた。
「うん!」
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