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それは告白か、あるいは。

7歳の長男が、突然モテに目覚めた。

毎朝、斜めにカットした前髪をセットし、余念なき鏡チェックを経て登校していく。

どうやら、同じクラスの女子の消しゴムに、自分の名前が書いてあることを知ったらしい。

好きな人の名前を消しゴムに書いて全部使い切ると両思いになる】という、あれである。浮き足立つ彼の気持ちも、まぁわかる。



最近、家族にやたらと探りを入れてくる長男。

「ねぇ……カーチャンって、昔モテてた?」
「トーチャンは? 何人から好きって言われた?」
「弟は、誰かに好きって言われたことある?」
「妹はモテるよね。世界一かわいいし」←シスコン


相手の状況を確認した上で己のカードを出すという妙に手練れた手法で、自分の優位性を見せびらかしてくる。

長男にドヤ顔をするようなモテ歴は、残念ながら持ち合わせていない。
しかし、その話題をきっかけに思い出した男の子がいる。名前を仮に大山くんとしよう。



あれは確か、中2の冬だった。
部活後に顧問と話し込んだ帰り道、暗くなった駐輪場で、偶然仲良しの大山くんと会ったのだ。

大山くんは常に、喜びいっぱいに走り回る大型犬のようなエネルギーを漂わせていた。その疾走感と天真爛漫さが、彼の持ち味だった。
勉強はあまりできる方ではなかったけれど、教師からも愛されていたことは間違いない。

少しだけジャッキー・チェンに似ている。顔なのか、ガタイなのか。短く揃えた前髪にこんもりフォルムの髪型が、そう思わせるのかもしれない。

弓道部だからか姿勢がいい。身長がそこそこ高く、姿勢がよく、さらに頭がこんもりしているもんだから、全体的に本人+αの存在感がある。



すっかり冷え込む時期なのに、大山くんはコートを身につけていなかった。手には軍手。寒さのせいか、頬と鼻が真っ赤になっている。

私の地元は北関東の盆地ゆえ、冬はアホほど寒いのに、当時なぜか学校では「コート=ダサい」という概念が浸透していた。

手袋に至っては、もっともイケていると評価をされていたのが軍手だった。とにかく、イケメンも、ちょい悪も、控えめ君も、こぞって軍手オン制服スタイルで登校する。
14歳というのは、大人からすれば実に奇抜で理解に苦しむことを堂々と愛せる黄金期なのだ。



「よぉ! 今帰り?」
「うん、話してたら遅くなっちゃって」


あたりには誰もいない。すっかり陽も落ちている。互いの息がやたらと白く動いて、静かなのに賑やかだな、と思った。


何気ない話をしながら、私は少し身構えていた。
いつものように話しているはずなのに、大山くんの様子がおかしい。明らかに緊張している。

彼の距離感は日常的にバグっていて、「仲良し」から半歩程度、こちら側に踏み込んだところに身を置くのが常だ。
そこに恋愛的な意図があるのかないのか。私に対してだけなのか、万人に対してなのか、その絶妙なところを量りかねていた。


もし彼が、私を好きなのだとしたら——。

夕暮れの駐輪場に、二人きり。告白にはもってこいのシチュエーションだろう。


くるのか?
それとも、こないのか……?



ふと大山君の顔を見ると、大きな瞳が、真っ直ぐにこちらを見つめている。
いつもの大型犬のような瞳とは違う、真剣な眼差しだ。熱量を帯びた、力強い瞳。逸らしたいのに、逸せない——



「……あのさ」



不意に大山くんが口を開いた。



これは、くる。確実に。

14年の間に鍛え上げたオンナの勘が、そう言っている。



「ずっと思ってたんだけど……」



彼の気持ちに対して、私はどう応じたらいいだろう。彼のことは好きだけれど、あくまでも「友達として」である。

回避すべきは、友情にヒビが入ること。そして、今後の生活に支障をきたすことだ。

超高速シミュレーションで、最善の回答パターンを模索する。

「ごめん」とすぐに答えて彼は傷つかないだろうか。「ごめん」の前に「ありがとう」と言うべき? それとも「ちょっと考えさせて」と言ってその場をやり過ごすべき?

……突然抱きしめられたら、どうしよう。
正直、そこまでの心の準備はできていない。

「好きだ」がパターンA、勢い余って抱きしめられるのがパターンBだとしたら、言葉を吹っ飛ばしてキスなんていうパターンCの展開もありえちゃったりする?

ごわついた軍手で抱きしめられたら、その手で頬を撫でられたら……ちょっと痛そうだな。でも、毛糸でチクチクするよりはいいかもしれない。




かすかに、空気が揺れる。




「俺さ、ぐみちゃんのこと、トーサツしたいかも 」



大山君が、強く空気を震わせた。
私の耳が、その振動をキャッチする。





……え、なんて?






私の情報処理能力が緊急警報を鳴らしている。

処理不可! 処理不可! 次ノ発話ヲ待機セヨ!



ちょっと待て。明らかに想定と違うのがきたぞ。
AでもBでもCでもないし、もう、そういう次元じゃない。


トーサツ?
盗撮……言うたんか? アンタ。

流れおかしくない? 流れもそうだけど、内容もおかしくない? 「考察」とか「工作」じゃなくて? 



いや、盗撮でも工作でも、いろいろ全部おかしい。

そこは「好き」とかでしょうよ。完全にその流れだったでしょうよ。告白のつもりで、超高速シミュレーション回しちゃってたのよコッチは!

何か聞き落としている会話がないか、私は急いで記憶を辿った。
パニックになっている情報処理隊員だけは間に合わず、私の中のあらゆる隊員たちが力を合わせてこの混乱を乗り越えようとしている。

しかし、隊員たちは残念そうに「異常なし」というカードを掲げた。


……そう、おかしなことは何もなかった。

私たちは犯罪の話題で盛り上がっていたわけでも、自分の変態性についてさらけ出すこともしていなかった。ただ、日常的な話をしたり、部屋が寒いだの狭いだの、そんな話をしていただけだったのだ。


そうか。これは前フリなのかもしれない。

「盗撮したいほど、君の日々の動向が気になるし、ずっと見ていたい」的な意味合いであるとすれば、やはりその次にくるのは告白だろう。


いや待て。
むしろこれ自体が、ちょっと斜め上の告白という可能性もあるのでは?


だとしたら斜め上を通り越して、逆走してないか、大山くんよ。
あるいは、私の読解力にすべてを委ねすぎている。コミュニケーションコストが高すぎる。
モテの世界でいったら、99.9%却下される方法論だ。


冗談なのか、本心なのかも分からない。明らかに冗談だろうという内容の割に、雰囲気が本気っぽい。
雰囲気が本気っぽい割に、言い方が軽い。

どっち!!


待てど暮らせど、大山くんから次の一言は発せられなかった。どうやら次言葉を発すべきなのは、彼ではなく私のようだ。

「筆者の言いたいことを次のうちどれか」——その選択肢を爆速でリストアップしようにも、難易度が高すぎて思考が追いつかない。



「あー、うん。盗撮ね。盗撮? へぇ、それはあのー、ちょっと、うん。難しいかもしれない


いやそりゃ難しいだろうよ。法的にも方法的にも心構え的にも、総合的に完全アウトだよ。




そこからは、何を話したか記憶にない。

情報処理が追いつかないまま家に帰った私は、とりあえず部屋を人目に晒してもいい程度に片付けてから、インターネットで防犯カメラの値段を調べた。盗撮に使うなら、防犯カメラではなさそうだけれど、親のPCで「監視カメラ」を検索をするのはなんだか気が引けたのだ。

簡単な防犯カメラは、意外と安い。大山くんのお小遣いで、買えるだろうか。

でもね、大山くん。
多分だけど、盗撮はしない方がいい。
軍手はしてもいいけど、盗撮はアカン。


私は彼の行く末を案じつつ、友情を超えた熱い視線を思い出した。

彼の硬直した頬を、吐いた息の白さを、また明日! と手を振る大山君の後ろ姿の姿勢のよさを、思い出していた。


==


あれが告白だったのか、告白未遂だったのか、あるいはまったく別の意思表示だったのかは、いまだにわからない。

印象的な出来事だったのに、すっかり忘れていた。事象に対する理解を諦めた各種隊員たちが、私の記憶からこっそり消し去っていたからだろう。

それからも大山くんとは相変わらず仲がよかったけれど、高校生になってから会う機会はなくなり、私が地元を離れてからは、連絡を取ることもなくなった。

風の噂で結婚したとか離婚したという話を聞いた。盗撮で捕まったという話は一度も聞いていない。



今朝も長男は相変わらずモテを意識して、入念にセットをした髪で「行ってきまーす!」と家を飛び出していく。

その後ろ姿を見ながら、私はまたぼんやりと大山くんのことを思い出していた。

好きって、複雑なのよ、長男。
消しゴムに君の名前を書いた女の子は、一体どんな想いをあのジンクスに託したんだろうね。

好き、だけじゃない感情が、世の中にはたくさんある。好きのバリエーションも、伝え方も、受け取り方も。人間の感情って、一筋縄ではいかないんだから。

大山くんか、今どこでなにをしているのかはわからない。相変わらず大型犬のように、まっすぐ走り続けているだろうか。

「行ってらっしゃい」と呟いたけれど、長男の姿はもう見えない。玄関のドアが閉じる音が、かすかに廊下に響いた。



長男の恋の行方が楽しみです。
長男の過去の恋愛話はこちらから。約2年ほど前のお話。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

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