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「虫」

へえー。集合住宅の二階にある我が家にしては珍しいお客様です。鮮やかな緑色の燕尾服を纏った。多分、殿様バッタと呼ばれる生き物でしょう。見事に成長していて立派な筋肉と骨格を思わせる重量感のある姿に後ずさりの私です。オーブントースターに手をかけた私の動きに反応して全力で飛び出してきた場所で出逢ってしまったというのがいきさつでしょうか。都会とは言えない場所ですが。やっぱり珍客現るの心境でした。

玄関からお帰りいただくのは至難なのは心得ています。ので、おっかなびっくり話しかけながら。何とかビニール袋に入っていただき。そのままベランダからお見送り。住宅の密集した場所と自然が半々くらいの生活圏なので。小さな居場所を見つけて安堵している姿を想像できます。きっと、緑の燕尾服に馴染む草むらで思い切り筋肉を使って飛び跳ねているはずです。お元気でね。

数日後、ベランダの片隅でふ化したであろうセミを見かけました。なかなか飛び立たないセミを静かに見ていたのですが。やっちゃんが「おい。」と声をかけると呪文が解けたかのように勢いよく羽を広げて空に駆け出しました。長い眠りから覚めて7日ほどの命を謳歌するセミに声を掛けたやっちゃんの満足げな笑顔がやけにまぶしくて懐かしい感じがしました。

つりがね草のひともとが
土から萌えだして
春に先がけ、いちはやく
かわいい花を咲かせてた。
そこへ小さなみつばちが来て、
さとくもみつをぬすみ吸った。
ふたりはほんとうに
似合った同士に違いない。


懐かしさがきっかけに思い出すことばたち。
この詩は私がまだミニスカートをはいていたころに大好きだった詩であり未来だったのかもしれない。高橋健二さん訳のゲーテの詩集のなかの1つです。実はこの詩のタイトルを今日まで勘違いしていました。ずっと釣鐘草だと思っていたのですが・・・。似合った同士だったのですね(笑)

私たち夫婦も、この詩のように。お互いに花になったり、みつばちになったりして過ごしてきました。花の咲かない季節には腹ペコみつばちになったり。花に恵まれた季節には贅沢な不満を口にしてみたり。味わい尽くした季節と蜜の味。季節に約束はなくいつだって思いがけなかった。

青椒肉絲を作ろうと買ってきたピーマンの袋を開けると。またも珍客登場です。小さなナメクジが居心地よさそうにピーマンを住処にしているようです。ナメクジの住処は今夜の我が家の食材です。ここはひとつ近くの紫陽花の葉っぱに転居をお願いすることにいたしました。なんだか珍客の多い日々です。

「一寸の虫にも五分の魂」

セミ、バッタ、ナメクジ。彼らはどのくらい生きるのだろう。
空地に生息している紫陽花の葉っぱへのナメクジの転居を手伝いながら考えていました。生まれ来ることも、死に行くこともあまりに大きな意思のもとにあり思いがけないこととして受け止めがちだけれど。最も正確な現象なのかもしれないですね。

「1つの命のはじまりとおわりが地球のバランスを取っているのよ。」

えっ?誰のことば?
ナメクジ、バッタそれともセミかしら。
こんな時には、虫の知らせとしておきましょう。


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