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open the door,そんな閃きに背中を押されてNOTEの扉を開いてみました。 ずっと追いかけている自分自身の魂のシッポ。 この手にするまでを言葉にしてみたい。 私の言葉、見つけてくれる人に出逢ってみたい。

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マガジン

  • いつもなんどでもな記事

    思いたったら繰り返し読みたい記事。私の本棚の宝物記事です。

  • 摩訶不思議よ開け胡麻

    夢と現実の間。暮らしと暮らしの隙間。 あるある。なにかあるをシェアしたい記事。

最近の記事

「龍」

東の開けの空へ目を凝らしてみたら。そろそろ龍の鱗の欠片が光るのを見つけてしまうかもしれません。干支が巡る干支時間に合わせて龍もおめかししきりでしょうか。爪研ぎヒゲ撫そして玉磨となかなか忙しいんでしょうね。2024に向けて。 今年は夏至を境に私を運ぶ流れが変化していることがわかりました。流れの方向転換を気にしながら2023年の後半は「こだわらない」が連れて来る直感に助けられた日日でした。このまま12月が過ぎるのだろうと思う矢先に。なんだかまた流れの変化を感じていました。 n

    • 「役」

      好きな色がずっと変わらずにいたわけじゃなく。好きな色をずっと忘れずにいるだけなのかもしれないです。クローゼットの中はその時その時で色の気配は違っていて。青いグラデーションが出来る時もあれば。落ち着きを求めるみたいにベージュが並んでいたこともあります。 長く使いたいものや未来を暗示するものに出会えた時に。好きな色を思い出します。その時その時に選ぶ色ではなく。忘れずにいる好きな色を思い出すように引っ張り出します。 ラインを始めた日からアイコンを変えることなく同じものを使ってい

      • 「冬」

        なかなか冬らしくならないから。記事タイトルに「冬」と付けてみました。寒暖の差を感じる頃。山に赤や黄色の葉っぱのぼんぼりが灯る。街にぼんぼりのかけらの真っ赤な葉っぱを見つけたら。待ったなしに北風がピュー。いつもならもうとっくに山から冬がやって来ているのにな。 寒さを待っているわけではないけれど。順調に冬が来ることで夏の暑さも順調に収まってほしいと思うこの頃です。 せっかく「冬」とタイトルにまでしたのだからと。ごそごそと出してきたのはクリスマスの小さなオブジェ。モミの木も動物

        • 夢を見ました。 夜と朝の間くらいに。 ふたりの女性の横顔でした。 あれ、誰だったかな 思い出せそうで思い出せない。 まだ、会ってないよね。 これから会いますよ。って予告編の夢。 夜と朝の間くらいに。 確かに見ました。 つぶやいちゃった。

        • 夢を見ました。 夜と朝の間くらいに。 ふたりの女性の横顔でした。 あれ、誰だったかな 思い出せそうで思い出せない。 まだ、会ってないよね。 これから会いますよ。って予告編の夢。 夜と朝の間くらいに。 確かに見ました。 つぶやいちゃった。

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        • いつもなんどでもな記事
          4本
        • 摩訶不思議よ開け胡麻
          2本

        記事

          7日間の東京滞在を新幹線のなかで しみじみとしています。 古き友との再会に心をふるわせ 新しい出会いには未来に開く花を予感し 病の父の手を握り 老いた母の背中を抱きしめた なぐさめるつもりがなぐさめられて 元気づけるつもりが元気づけられて 4時間後には日常です😊

          7日間の東京滞在を新幹線のなかで しみじみとしています。 古き友との再会に心をふるわせ 新しい出会いには未来に開く花を予感し 病の父の手を握り 老いた母の背中を抱きしめた なぐさめるつもりがなぐさめられて 元気づけるつもりが元気づけられて 4時間後には日常です😊

          「甘」

          「あたったのよ」 もしもしの代わりに聞こえてきた声は決して大きくはなく。むしろいつもよりやや控えめながらよく聞き取れるトーンでした。あたった。このことばと声の雰囲気から。どうやら何かいいことを連想させる勿体のあるウズウズ(渦渦)を感じるわたし。です。 「ホテルのアフタヌーンティーのペアチケットがあたったの」。ウズウズはため息になった。はぁー。私のもらしたため息に包まれているのは。赤毛のアンがダイアナをお茶会に招待するあの健気で明るい場面です。アンはなんとかマリラにお客様用の

          「甘」

          「仙」

          ジオラマから抜け出して来たかのような黒くて小さな舟で鞆の浦の港を後にします。 「やっちゃん、この舟。坂本龍馬が乗っていた  いろは丸に似せて作ったらしいょ」 「うん。追突されて沈没したんだよ。」 「・・・・・・・。」 わたしの知らない哀しみを知っている瀬戸内の海は今日はとても静かです。 手前に浮かぶ弁天島の曲線に沿うよう進む舟に私の体がわずかに傾きはじめます。キューッと音の無い海に引っ張られて思わず抱きしめた弁天島の肩越しにはもう仙酔島が見えています。あら、近いんだわ。ス

          「仙」

          「鞆」

          走らせる車の窓から見える瀬戸内の海はスモーキーな翡翠色です。小さな波に朝陽の粒が絡まりながら翡翠色の海の底に落ちていく。海の底には空が眠っています。車は速度を緩めてカーブを抜けると。ジオラマみたいな港町の風景が見えてきました。いよいよの鞆の浦に到着です。鞆の浦の街とこれから行く予定の仙酔島は日本初の国定国立公園に認定された場所です。 各宗派のお寺が並ぶ寺町通りは沼名前神社の参道へと続きます。寺町通りからはずれにある最も古いお寺は最澄さんによって開かれた静観寺です。そして次に

          「鞆」

          「星」

          インディアンサマーか小春日和かと問われたら。インディアンサマーな日日です。小春日和と同じ意味で使ってよいそうなのでどちらでもご自由になのです。秋から初冬にかけての晴れやかな日が続く頃。日中には気温が高くなり夜間冷え込む気候が私にはちょっとだけ特別に思える時間です。冬眠を控えた野生のいきものたち。夏の毛から冬のごわついた毛になるいきものたちに。自然からの恩恵のような気候に思えるのです。わたしもこの気候にあやかるようにインディアンサマーを楽しんでいます。自然の一員です。 程よい

          「星」

          「登」

          ある日の朝。サツマイモは鳴門金時の芋棒なる大学芋をもぐもぐしながら。足の指先をぼんやり動かしています。こんなぼんやりとした朝に贅沢を思うのは。まあまあ年齢を重ねたからこそでしょうかね。はぁー、いい気持。と、ここ最近のことを振り返っていました。 「アルフォンス・ミュシャ展」に出掛けたのは。彼の描く妖精の世界を見たいと思い立ったから。実際、人が妖精を見かけたとして。こんな風に絵にできるのだろうか。異次元感を損なわずにどこかに隠れているかもしれないと。絵を眺めながら秘めた確信をソ

          「登」

          「奥」

          秋の雨音。ポンポン、ツーって細い線が光る空。ひと雨ごとに季節は深まります。窓の外の静かなポンポン、ツーを眺めながら。唇の先で口ずさむ The blue heartsの「手紙」の2番の頭。 「背骨で聞いている。はちみつの雨〜」確か初夏を迎えた頃を歌っていたのだと思います。はちみつのポテッとした雨が延びる感じとは違うけれど。水飴みたいな細い雨が秋の空から落ちています。秋の雨に初夏の雨の歌を歌う。 初めてこの曲を聞いたのはアン・サリーさんのカバーでした。現役の内科医でありシンガ

          「奥」

          「朔」

          たくさんたくさん夏の太陽を浴びました。もう充分ですと感情は素直に顔に出てしまいます。眉間にシワシワを寄せて見上げたあの太陽を懐かしく思い返しているベランダの風の中。 夏、陽の氣に満たされた体は。秋、自然と陰の氣を求めるように月を追いかけます。夜の闇に月が浮かべば地上には瑠璃色の布が静かに降りてきます。布の向こうには誰かの昨日の夢が置きざりのまま転がっています。 色のある夢も色の無い夢も。記憶に残らなかった夢も。どの夢もみんな瑠璃色の布に包まれて月に還っていくのでしょうか。

          「朔」

          「躾」

          「さすが、荒削りなサイキックだわ」と私。 これはと思う妖しい話題を見つけると電話する友人につけたあだ名です。敢えて荒削りなとなったのは。ことば通り繊細ではないと言いたかったわけです。そんな悪態をつける間柄だからこそのあだ名でもあると気に入っています。多分、友人も。 このあだ名を口にするのは私。耳にするのは友人です。口にするのと耳にするのでは微妙に意識が違うのを教えてもらった出来事がありました。 友人の友人にこんなあだ名を付けた友人がいると話題にしたとき。なんとしても「荒削

          「躾」

          「瓜」

          果汁を絞り出すみたいに。西に傾きかけたみかん色の太陽が。容赦なく絞り出す陽射しが熱い。熱すぎます。 みかん色の夕暮れのなか野菜を担いで友人がやって来ました。仕事仲間数人で畑をやりはじめたらしく。時々、採れたて新鮮な野菜屋さんになって届けてくれるのです。 この度の目玉野菜は。とびきり大きな冬瓜。 抱えた瞬間。ぐりとぐらになった気分です。半分こにシェアしましょう。と、包丁をたてますがなかなかどうして手強いです。時間をかけて夏の畑で成長した冬瓜の皮は実(身)を守る鎧だったのかも

          「瓜」

          「掬」

          永い時をかけて大切にしていることばがあります。つと、見知らぬ誰かが。袖すれあった誰かが。親しくしている誰かが見つけて。そっとその手に掬いあげてくれることがあります。金魚掬いみたいに。 秋祭り、夜店に並ぶ金魚掬い。四角い水槽にチロチロと泳ぐ。赤い金魚。黒い出目金。お気に入りをめがけて直感が掬い上げたときの。パーンと音が弾けたような。喜びに似ています。 赤い金魚みたいな。黒い出目金みたいな ことばたち。 水槽のなかを泳ぐことばたち。てんでばらばらに見えることばだけど。みんな

          「掬」

          「演」

          6日。前日の仕事の整理が具合よく終わりました。ホッとしている割に。心とからだがあちらこちらに散らばって纏まりのない感じがします。事がひとつ終えた開放感からポロリと転がり出た迷いごと。 床に落ちた迷いごと。このまま1時間も過ぎたら。跡形もなく消えてしまうだろう。ただ後悔は残るかも。かも知れない。 6日の予定がハッキリとしていなかったこともあって。当日券はあてにならないのを知りながら。前売券を買わなかったのは私。そのくせ今になってグズグズしている。 どうしようかな。これから

          「演」