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アキレス最後の戦い(V)~「亀」の恋

行き当たりばったりでmotelを見つけると、さっさと受付で前金の支払いを済ませて、鍵を受け取った。旧式の鍵で、このmotelのあらゆるシステムが旧式だった。受付の爺さんはカウボーイハットを被り、火星野球の中継を流していた。

部屋の窓からは、さっきの「火星のソドム」の灯を、薄っすらと眺めらることができた。

「わしの昔の恋人が、あの町に住んでおった。都市そのものの消滅が報じられた時、わしの青春は終わった」と「亀」が言った。

「なのに、さっきのとおり町が残っていた」と「亀」は涙を流していた。「わしの失ったものが、亡霊のように現われた。立ち止まっていた自分が、あまりにも無意味で、役立たずに思えてならなかった。

「彼女も当時は「ペンテシレイア」ほどの年齢じゃった。もし、あいつがまだ生きていたとしたら、もう婆さんぢゃ。だが、生きておるかどうかすら、あの町の状態ではわからん。生体反応を完全に抹消した都市の状態では」

どんなにmapを開いても、「火星のソドム」の位置はどこもnothingだった。

*

朝、起きると「亀」のベッドが空だった。探しに行った「ペンテシレイア」がすぐに戻ってきた。「思ったとおり、やっぱりね。食堂でたらふく食べてたよ」

「亀」は黙って行くつもりでは、なかったらしい。「亀」は重要なUSBメモリを携帯してきている。破天荒とはいえ、無責任な老人ではなかった。「亀」は一式の入ったリュックを僕に手渡して、「すまんな、わしは今日で降りる」とぽつりと言った。

「わしにはやらなきゃいけないことが見つかった。あの町に戻って、生きておるか土に戻ったかわからんが、じっくり見ておいてやらなくちゃならんのぢゃ」

僕たちは頷いた。この世界の終焉と同じくらい、「亀」にとってのその過去のイベントは、とてつもなくインパクトのある出来事だったに違いない。それを僕たちや世界の都合で止めることはできない。「ペンテシレイア」は「ハーレーダビッドソンで送るよ」と声を振り絞って言った。

朝食の続きを、僕たちはこれまでにないほど、とても幸せな気分で過ごした。

*

僕たちは「火星のソドム」の中央まで戻って来た。その筈だった。ここはmapに昨日からマークしておいた地点に間違いない。だが、町は近づけば近づくほど、町は僕たちから視覚的に遠のいた。気づくと、正反対に走っていたのではないかと疑うほど、地平線の彼方に消えていた。

「ここよね」と「ペンテシレイア」がバイクのエンジンを切った。「まったく先が見通せないの、どうしてだか」と彼女は混乱していた。予知が途絶えてしまうようだ。

「おそらく」と亀は言った、「わしたちはソドムの住民もしくは町そのものにマークされておる」。その途端、見渡す限りの砂地が半透明の町に変わった。たくさんの人が歩いている。そのなかに、じっと静止している存在のあることに、僕たちは気づいた。

「若い頃のわしぢゃ。わしが歩いておる。その先におるのは、離れ離れになった、あの子ぢゃないか!」と「亀」は声を押し殺して僕たちに教えた。

「亀」とどことなく風貌の似ている青年が、女の子とまるで久しぶりに出会ったかのように喜びあい、語り合っている様子だった。だが、声はまったく聞こえない。重力だけが感知されるので、姿かたちは再現できたとしても、音波までの再現は無理だった。

「これは別のレイヤーよ」と「ペンテシレイア」が言った。

「そのようぢゃな」と「亀」も同意した。「今のわしがここに来たことで、異なるレイヤーに影響が及んだようぢゃ。残念なのは、今のわしとは異世界に分岐しておるから、実際に再会したことにはならんことぢゃ。

「じゃが、彼女が安心してくれさえいれば、それでいい」

僕は「亀」のリュックを本人に返した。「亀」も気が済んだようだ。僕たち三人は「火星のソドム」地点を離れることにした。

(to be continued.)


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