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ヴェクサシオン(Vexations)

長雨が続くと気分が塞ぎ込む。どんなにこの星が渇きに抗っているのだとしても、雨は99パーセントの私を否定する。

あと1パーセントの私が、「立ち直れ」と言って必死に暴れるので、余計私は苦しくなる。

火星の長雨にどれだけうんざりしても、なにも変わらない。

だから、夜明け前に、おかしな夢も見てしまう。

*

そこは久しぶりに訪れた場所だった。私の昔の職場の入っている建物で、空模様はどんよりしていた。ここを通り掛かるのは、何ヵ月ぶりだろう?

そこでパラパラとすれ違う人たちが、私を見かけるたびに視線をとめていく。そうだ、むかし一緒に働いてくれていたアルバイトさんたちだ。

ひとり、立ち止まって私を見つめて微妙にわなないている子がいた。すごく悩んでいるような風で、私と似て、彼女自身では解決しようのない雰囲気があった。

「どれだけあなたに影響を受けたと思ってるんですか?」と声を振り絞って、彼女は私に語りかけた。彼女は私の急な不在を惜しんでいるらしかった。とても真剣な眼差しだった。

私はその職場を辞めるトラブルに巻き込まれたのだ。私の力ではどうしようもなかった。私がいなければすべてよし、という結論しか出せなかった。

仕事上のことでは、細かいことを必死で取り組むほうだったし、何より部下の個性を尊重していた。目立たないところで地盤を固める役割だったから、仕事ができないと言われて勘違いばかりされる。だから、彼女のように悔しがってくれることは、意外とうれしいことだったし、今すぐにでも何とかしてあげたいことだった。

でも、すべてが遠ざかってしまい、今の私にはどうすることもできなかった。「ごめんね」としか言えなかった。

そこで雨の降るすさまじい音がして、現実に引き戻された。

*

雨垂れの音がパチパチと聞こえてくる。雨垂れする場所がアスファルトでなければ、あれほどパチパチ言わないのにな。

今の私には時間の感覚もエンドレスで同じ日々が続いていく。夜明けの遅くなる秋は、99パーセントの落ち込んだ私を眠らせてくれない。

あと1パーセントの私が、体を動かそうと言って腹筋トレーニングに誘ってくる。

意外とその1パーセントの私こそが、親身になってくれるかもしれないなと思いつつ、もうすぐ火星の夜が明けるなか、私は雨の音を聞きつづけた。


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