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【詩】歌えよ、そして忘れよ

涙を流した火星人たちは、さっきまでの詩をもう忘れている。

「はるかなる、砂の……ふるさとは数億年のかなた」

「震わせよ、空の……数々は記憶の奥に」

彼らの涙は北風に乾ききり、瞳はずっとずっと先を見ている。

*

新たなビジョンに酔い痴れた火星人のつぶやきは、忘却の証。

「……砂の城に忘れし君のふるさと……」

「……空の渦に巻き込まれし墓標の数々……」

吸盤を閉じてゆくほどに、記憶が少しだけ滲み出す。

*

かろうじて火星人の王、彼はすべての詩を歴史書に編纂している。

これから先、どの時代に紐解かれるのか、それは定かでない。

涙の流れたことさえ忘れられた時代に、後世の者たちは、

  著しくあきれるかもしれない。

  郷愁に浸るかもしれない。

  文字すら通用しない時代になるかもしれない。

それでも王は語り、地道な編纂作業に没頭した。

*

それが正しい行ないかどうかなんて、王は考えていない。

行ないは間違っていて当然だとすら、彼は思っている。

王だって編纂した詩を、ひとつひとつ覚えてはいない。

忘れっぽい性格は、王であっても同じことだった。

だから、都合の良いような良し悪しを当て嵌めない。

あきれるのも自由、懐かしむのも自由。

だからこそ、王はずっと王でいることができた。

もし、そうでなければ、彼は火星で孤立した囚人になり果てただろう。

*

……遠き大地に居並ぶ岩に、霜が降りる、それは唐突に。

……霜に濡れるのが嫌だという、火星の者のいとかなしき。

……霜を我と想い、一体になりてこそ、大地の未来の途絶えることなし。

……忘れよ、そして歌えよ。

……歌えよ、そして忘れよ。

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