釣竿為八郎の夏休みの終わり
火星の海がこれほど青かったなんて想像以上だった。それに広かった。
このすべてが移住100年にも満たない年月の成果だなんて、嘘みたいだ。
夏休みのあいだ、曾祖父の家に泊まった。曾祖父の釣竿為五郎は子どもの頃から漁師として、僕ぐらいの歳に地球から移住してきた。八十歳を超してからは、船を下りて岸から釣り糸を垂れて暮らしている。
先祖代々漁師の家系で、僕が八代目として為八郎と呼ばれた。
だから、ゆくゆくは漁師として僕が釣りで社会に貢献することになっていた。海に潜るのは好きだったけれど、本当はコンピュータ・プログラミングに興味があった。人生の岐路だと思って、すごく悩んでいた。
誰かに相談すると、百通りのアドバイスが返ってきた。漁師って魅力的だし、今どき火星は就職難だからそれでいいんじゃない?と言う人もいれば、古い慣習なんて捨てるためにあると急進的に扇動する人もいた。どんどん狭くなっていく視野に、僕は考えるのさえ鬱陶しくなっていた。
もっと気楽に夏休みを過ごせば良かったなと思った。今年は釣竿も触らなかったし、海にもほとんど出なかった。これから帰る場所すら、どこにもない気がした。
*
夏休みの最後の日、僕は荷物をまとめてから、朝の海を見に行った。波以外の音がしない、とても辺鄙な場所だった。
ずっと歩くと、いつの間にか曾祖父が釣り糸を垂れていた。
「火星の海は、子どもの頃はずっと浅瀬だった」と曾祖父の為五郎は言った。「だから、なんも釣れんかった。それはそれで平和だった。ここにはありとあらゆるしがらみがない。どこまで遠洋に行っても石ひとつ投げられないし、むしろ家に呼ばれて歓迎された。向こう岸から訪ねてくれば、新しい情報だって入ってくる。それこそが釣りを続けられた理由だ」
それは初めて聞く話だった。
「今でもそれは変わらん。海の水嵩は増えて、船の大きさも本格的になった。いくらでも向こうに行けるようになった」
僕は太陽が眩しくて頭がくらくらした。曾祖父為五郎の言葉が途絶えた。
*
曾祖父の隣に座って、この広い海がどれだけの過程を経て蓄えられていったのかを想像した。技師たちは海を作るためにどれだけの人と関わりあい、どれだけの人の暮らしを変えていったのか。
好きなことをひとつ見つけることも大切だけれども、過去から張り巡らされたいくつもの糸を切ってはいけない。生きるということは自由を求めるもので終わらせてはならない。俯瞰して生きることのほうが、自由に近い。
好きなことがふたつ、みっつとあってもいい。それらを結び合わせることだってできる。
ひとつだけ選ぼうとするから、選ばれなくなったときに袋小路にはまる。なりたいものになれないという絶望が訪れる。社会は結婚と根本的に違う。
僕の目の前の海が、火星のものなのか、地球のものなのか、熱気のためにわからなくなっていった。曾祖父の存在だけが、僕の意識を火星に留めさせていた。曾祖父は僕自身でもよかった。
波間から火星ウミウシの鳴く声が、微かに響いてくる。帰る前に、一度だけ海に潜ってその声を聞いておきたいと思った。
今の僕には火星ウミウシにだって、火星人にだってなれる気がした。
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