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父の生き様

先週、父が天国に旅立ちしました。
入院して約1か月…最後は眠るように亡くなりました。83年の生涯でした。昨日、親族のみで告別式を行い、明るくアットホームな雰囲気のなか、多くの笑顔と少しの涙で見送ることができました。気心の知れたいつものメンバーに見送られて、父も安心したのではないかと思います。

ここ1年ほど父は足が悪くて歩くのも億劫でした。
しかし、入院前日に何故か一人で理容室まで散髪に行きました。そして夜はとんかつ、カレー、デザートまで食べていました。今日はすごいなあ…と話していた翌日、突然の肺炎で入院して、1か月後に帰らぬ人となりました。亡くなる1か月前まで、管にも繋がれず、自宅で自由に生活して、自分で動いて、食べて、トイレにも行って…という状況でしたので、ある意味で良い死に方だったと言えるかもしれません。

父はカメラマンをしていました。いわゆる個人事業主です。性格的にサラリーマンが合わなかったようで、独立して一人で仕事をしていました。青森県出身で高校卒業して上京してきたため、こちらに血縁のある者はいなく、母の親族との繋がりが強かったです。友人も多くはなく、高齢になり仕事を廃業した後は、社会とも地域ともほとんど接点のない生活を送っていました。私にはそれがもどかしくて、もっと外部との接点を持つよう言ったこともあったのですが、父は一人の自由気ままな生活に特に不満も孤独も感じてはいなかったようです。散歩に行ったり、庭いじりしたり、パソコン操作したり、料理したり…お金はほとんどなくても、自分の世界観、価値観に則って、毎日を過ごすことに満足しているようでした。

父は最後まで大きな病気をすることもなく生きていました。ヘルニアで手術したことが1回ありましたが、それ以外の手術、入院はありませんでした。むしろ母の方が若い頃から病気になり、そのたびに父は看病のため病院に連れて行ったり、料理をしたり、家事全般を行うなど動き回っていましたが、そういうところに生き甲斐を感じていたようにも思います。父にとっては家族が全てだったのかもしれません。だからと言って、父が母や私に何かを強制したり、見返りを求めたりすることは一度もありませんでした。

私は父を反面教師にしている部分がありました。
人づきあいが苦手で社会との接点を持とうとしない、地域との繋がりもなく孤独な老後を送っている…自分はこういう晩年は過ごしたくない、と心の中で思っていました。でも、父は母からとても愛されていました。私自身が別居中で離婚調停中という状況のため、父と母の夫婦間の結びつきは本当に素晴らしく眩しかったです。そして、母の親族たちからも受け入れられていて、告別式でも父の良いエピソードをたくさん聞かされました。そして何より、父自身がそういう生き方について満足している…少なくとも不満を持っているようには見えませんでした。敢えて世界を広げようとしない、自分の親族…近い距離の人たちとの関係を何より大切にする、そして他人と自分を比べることなどせず、人を束縛せず、束縛もされず、限られた範囲のなかで周囲に迷惑をかけずに質素だけど自由に生きる…そんな生き方をしていたように見えます。何が正解なのか分かりませんが、結局は自分自身が納得できる、満足できる生き方ができればそれで良いのだ…という至極当然のことに気付かされました。

父の最後はとても穏やかでした。
入院直後から、医師には「延命は不要、ただし痛みと苦しみはしっかり取り除いてほしい」ということだけをお願いしてきました。それは父自身の希望でもありました。病院側もその意思を汲んでくれて、余計な延命等はせず、それでも苦しみなどは確実に取り除いてくれました。入院してから亡くなるまでの間、苦しむことはなく、最後も眠るように亡くなりました。父は最後まで「生」に拘っていましたが、それは家に帰りたいという思いからだったと思います。一方で「死」を恐れるような姿勢、言動は見せませんでした。父の死に様は見事でした。「死」を恐れるのではなく、少しずつ受け入れていくというものでした。1か月の入院期間があり、徐々に弱っていく姿を見て、私と母は辛くもありましたが、それでもお見舞いの際など、父と会話する時間も取れましたので、心の準備を少しずつ行うことができました。

あれほどウザい!と思っていた父ですが、いなくなると寂しいです。
この喪失感というのは、告別式が終わった今、徐々に大きくなってくると思います。それだけ自分にとっては大きな存在だったことに気付かされています。晩年はほとんど何もすることなく、一日椅子に座ってぼーっとしているだけでしたが、存在しているだけで価値があったのかもしれません。たとえ何をしなくとも、年老いた父の存在にどれだけ自分が守られていたか、肯定されていたか、勇気づけれられていたか…ということを改めて実感しています。今は心にぽっかり穴が開いたような感じですが、父の生き方、死に方から学び気付かされたことを、しっかり実践していきたいと思います。

父さんへ
最後の2年間、孫に会わせられなくてごめん。二人ともジイちゃんのこと大好きだから、いつかきっとお線香をあげに来てくれると思うよ。
あなたの子供に生まれてきて良かったです。生まれ変わったとしても、あなたの子供として生まれてきて、再び親子として出会いたいです。最後まで心配かけ続けてしまったね。たくさんありがとう。天国から見守っていてください。


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