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両親との関係

別居以降、私は両親の住む実家に居候させてもらっています。
50歳目前にして実家に戻り、両親と同居するとは思ってもいませんでした。両親に対しては、申し訳ない、恥ずかしい、そして、気にせず放っておいて欲しい…等々、複数の複雑で厄介な感情が渦巻いしていました。

両親は二人とも引退して悠々自適です。
別居して戻っていた私を何かと心配してきます…別居当初は色々状況を聞き出そうとしてきました。必要な情報は伝えていましたが、やがて私は心を閉ざすようになりました。別居後に襲われた強烈な孤独感、喪失感などからメンタルダウンして、両親に気を遣っている余裕がなくなりました。メンタルはガタ落ち、ボロボロでしたが、それでも仕事を続けなければいけないという強迫観念というよりは気合だけで、会社は休まずに出勤して、平静を装いながら仕事をしていました。平日は仕事後に実家に戻ったら何も手に付かず、食事して、風呂入って、寝るだけ…という感じでした。通勤時間も大幅に増えたことで体力的にも厳しかったです。両親と面と向かって家族のことについて話す心の余裕も体力もありませんでした。

決して悪い親子関係ではありませんでした…父親は厳しくも優しく、時に理不尽な存在として君臨していました。母親は基本的に優しくて、やはり小さい頃は母親に甘えていたと思います。私の意思や感情を尊重しつつ、愛情を持って育ててくれたと思います。私が習い事や塾に行く際、また、進学する際にお金に心配するようなこともなかったです。

そうは言っても両親と言えども自分以外の他者です。分かりあえるということはないだろうと思います。また、適度な距離感があるからこそ良好な関係も築ける…という面もあります。同居して物理的距離が近くなると、なんとも言えぬ居心地の悪さを覚えるようになりました。部屋に閉じこもり、食事の時間も微妙に変えて、必要以上は話さない…そんな露骨ともいえる対応をとるようになっていました。そんな私の態度を察して、両親は必要以上に家族のこと、仕事のことなど聞いてこなくなりました。それでも、黙って平日は食事を用意してくれて、洗濯などもしてくれていました。感謝の思いを持ちつつ、どうしても距離を取り続ける日々を過ごしていました。特に父に対しては空気を読まない言動にイライラしてしまい、ほとんど話さない関係になっていました。

そんななか、先月に70代半ばの母がガンを再発しました。幸いにも初期のため手術して1週間の入院で済みました。これで2回目の再発、3回目の手術です。そして80代の父は呼吸が苦しいと救急車を何度か呼んだことがありました。検査したところ、大きな病気はないものの肺活量が95歳程度とのこと…足も悪くてあまり外出したがりません。二人とも確実に衰えが進んでいることに気付かされました。

母の入院する日、会社を休み、車で病院まで送りました。翌日手術だったため、再び休みを取り、術後に主治医から「成功した」との説明も聞きました。一安心したのも束の間、私にとっての問題は、入院期間中の1週間、父と二人で生活することでした。

当初はギクシャクしないように1週間ホテルに泊まろうかと本気で考えていました。でも足の悪い老齢の父を一人にさせるわけにもいかず、年休や在宅勤務なども使いながら実家で過ごすことにしました。二人だけで過ごせば否応なくコミュニケーションを取ることになります。でも、そのことによって関係が変わるきっかけを得ることになりました。

母の入院する病院に父を車で連れて行った時のことです。久しぶりの外出、好きな車に乗れたことで父は上機嫌で、「車に揺られていると息苦しいのも忘れしまう」と言って喜んでいました。また、病院で喉が渇いたということで、微糖の缶コーヒーを買ってあげたら、嬉しそうに「美味しい!美味しい!」と言いながら飲んでいました。その二つの出来事で、私の中にあった父に対する嫌悪感、苦手意識が氷解するのをはっきり自覚しました。父も確実に衰えている…声は枯れて聞き取れない、少し動くと呼吸も苦しそう、足は悪く引きこもり気味、モノ忘れも増えてきている…それでも、変わらぬ毎日を生きて、こんな些細なことに喜びを感じている…そしてどうしようもない息子(私のこと)を心配している。そんなことを考えていたら、何故か分かりませんが泣けてきました。申し訳ない思いが溢れてきました。その思いは母に対しても同様に感じました。

それからは父との二人生活では、家にいるときはなるべく食事は一緒に食べて、外食と称して外に連れ出して食事をすることもしました。わずか1週間でしたので、そんな回数は多くありませんでしたが、在宅勤務した平日の昼、無駄に高速道路を走らせて、サービスエリアのレストランに連れて行ったらとても喜んでいました。周囲は家族連れや若者グループばかりで、中年男と老人の二人組は珍しい組合せだったかもしれませんが、全く気になりませんでした。

先週、母も退院して無事に戻ってきました。
母の病気、入院をきっかけにして両親への感情、関係性が変化しました。何が原因なのかは自分でも正確に分析できていません…でも、いま抱いている思いを忘れないようにしようと思います。でも、そうは言っても急に両親との距離が近くなるわけではなく、付かず離れずと言ったところですが、以前のような高く冷たい壁を作らず、楽な気持ちになったのを感じています。会話はそれほど多くありませんが、少しずつ適度な距離感を作れれば良いなと思います。

私の両親は私の子供たちをとても可愛がっていました。
そして子供たちもジジババのことが大好きでした。
でも私が別居したことにより、両親は孫たちと会うことができなくなりました。それでも別居以降「孫に会いたい」とは一言も言いません。本音は会いたいに決まっています。私が我慢を強いているのです。子供たちと会える見込みはまだありません。でも、両親も高齢で病や老衰も進んでいます。今すぐどうなるものではありませんが、残された時間というのは決して多くないと思います。子供たちは、私には急いで会わなくても良いから、せめてジジババには早くに会ってほしい…と思います。これから行われるであろう調停等の場でそのような思いも伝えていこうと思います。

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