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『ジョーカー』の続編、本当だったんですね(; ゚ ロ゚)ナンデストー!!


 DC映画『ジョーカー』の続編『Joker: Folie à deux(原題)』の画像が Instagram に掲載されました。全3部作構想…本当だったんですね。
 全米公開が2024年の秋だそうです。

 これから、あの猿と爺の与太噺の、猫の写真にイタズラ書きを繰り返す…己を宇宙人だと憚らない弥栄なるモノが、どうやら真面目な記事を書くようです(笑)
 珍しいのでよかったらお付き合い下さい。

 ⚠️DC映画『ジョーカー』のファンの方、お好きな方には本記事はおすすめいたしません。その旨、ご了承のほどお願い致します。


 わたしはDCファンなのですが、どうもこの映画だけは苦手というか違和感を禁じ得なかったのです。その違和感は、この映画で描かれたジョーカー像が、わたしの知っているジューカーではないだけではなく、余りにもかけ離れていたからです。

 わたしの好きなキャラにハーリーン・クインゼル別名「ハーレクイン」がいます。
 映画ではマーゴット・ロビーが演じて人気を博していますね。

マーゴット・ロビーが演じるハーレクイン

 ハーリーンは父ニコラス・クインゼルと母シャロン・クインゼルの間に生まれます。バリー・クインゼルという弟がいるようです。
 父親のニコラスが犯罪者だったため、父親を理解するために心理学者になります。
 ゴッサム・シティのアーカム精神病院に勤務していた頃、担当患者として現れたジョーカーと出会います。
 職業柄、鬱屈した日々を送っていたハーリーンは問診を続けていく内にジョーカーの陽気な性格に惚れ込み、恋に落ちます。

アメコミ界の巨匠、アレックス・ロスによる“Batman: Harley Quinn”のカバーアート
ジョーカーとハーレクイン

 2011年にリニューアルされた設定では、ハーリーンはブルックリンの郊外で育ちで、両親と三人の弟がいるようです。
 またハーレイ・クインのオリジンも以前の設定を踏襲しつつ「ジョーカーに廃液タンクに投げ込まれたために肌が白くなり、正気を失った」という設定が加わっています。
       (Wikipedia より抜粋)

 彼女はジョーカーとの出会いで運命が一変し、その悪のカリスマ性に強く惹かれたことで、ただのヴィランではなく、破天荒で傍若無人、その反面お茶目で愛らしくシニカルで圧倒的にナンセンスな存在であるハーレクインへと変貌します。

『ニンジャバットマン(2018)』より
ジョーカーとハーレクイン

 どうでしょうか…わたしの抱く違和感の正体に気づかれましたか?
 そうなんです。
 この『ジョーカー』という映画に登場するジョーカーにはハーレクインは似合わないのです。
 言い換えると、ハーレクインという存在が惚れるどころか、それが存在することさえ否定しかねない…そんな違う存在にしか見えなかったのです。

 『ダークナイト』でヒース・レジャーが演じたジョーカー…ヴィランとして、バットマンに対峙する圧倒的な悪意の象として、とても魅力的な存在でした。
 もしその傍らにハーレクインがいたとしても想像に難くない、違和感なく受け止めたことと思います。

ヒース・レジャーが演じたジョーカー

 バットマンは闇によって生まれたヒーローです。故に明るい陽の光は似合いません。
 彼が闇の存在と為り得た、そのもととなる存在悪がジョーカーです。
 ジョーカーがいなければバットマンが生まれることはなかったのかも知れません。
 同じようにジョーカーという闇に呼応した影がハーレクインです。彼女もやはりジョーカーが居なければ生まれることは無かった存在です。
 『ジョーカー』という映画に登場したジョーカーには、そんな関連性が感じ得なかった…それが答えなのかも知れません。


 映画『ジョーカー』では「善と悪」の境界線の曖昧さが描かれているのだろうと考えます。感慨深く意味深な提示や示唆が深い考察を呼び、凄い映画だ…と評価されたのかもしれません。
 勿論、ホアキン・フェニックスの演技は素晴らしかったです。

 しかし、わたしには楽しくなかった。
 分析や探究心は程度が過ぎれば嫌味になってしまい、それを楽しむ余地や空想さえ無意味なものにしてしまいます。
「幽霊の正体みたり枯れ尾花」のように、知ってしまったら怖くもなんともない…そんなものにいったい誰が憧れるのでしょうか。

 一部の方々には『ダークナイト』に繋がる正当なジョーカーとして謳われている本作です…人の思いはそれぞれですから、わたしは賛成も反対もしないし、異を唱えるつもりもありません。

 ただ、Wikipedia に以下のような記載があり、これは注視したい項目だと考えています。

本作は、「DCエクステンデッド・ユニバース」をはじめ、過去に製作された「バットマン」の映画・ドラマ・アニメーションのいずれとも世界観を共有しない、恐らくマルチバースの関係にある完全に独立した映画である。ジョーカーの原点を描いた内容ではあるが、本作以前の映像作品に登場している、どのジョーカーの過去でもない。

 …と。
 そうなんです…やはりこのジョーカーは、わたしの知るジョーカーでは無いということです。もやもや感を完全に消し去ることはできませんが、別モノというのであれば頭を切り替え、…そーなん、知らんけど…と鼻を穿る余裕さえうまれるというもの(笑)です。


 映画『ジョーカー』の続編のサブタイトル「フォリアドゥ(folie a deux)」はフランス語で、直訳すると「ふたり狂い」、「感応精神病」を表す言葉です。「妄想を共有する」という意味合いで用いられます。
 どうやらそちらの方向へと指針を振るようですね…すると展開はやはり…。

 さて、どうなることやら…。
 それは神のみぞ知る…ということでしょうか。

わたしには、
ピエロに扮装したお爺ちゃんにしか
見えない
(ファンの方、ごめんなさい 陳謝)
公開された『Joker: Folie à deux(原題)』の画像



 最後まで読んでいただきありがとうございました。
 しかも今回は、わたしのぼやき(自覚アリ)に付き合って下さり、ありがとうございました。

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