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試験

3年間研修生をしてきたわけなのですが、区切りということで、研修生としての終了試験があり、受けました。

モデルを連れてきて、師匠の前で操法。そして師匠を操法、との話で準備も進めてきたのですが、予想通り、実際に始めてみると異なった展開になりました。

師匠は3種なので、その場でその場で言うことがころころ変わる。

私の体癖には左右型がないので、初めのころはぎょっとしましたが、3年間鍛えられて、今ではそんなものか、と思います。

3年間教わったことは、言葉にならない。

言葉にならない、なんて紋切り型、よく使いますが、ほんとうにそうで、言葉で構造化されていないことを延々と3年間繰り返してきた。

こんなことが私の人生に生じるとは思っていなかったのですが、起きました。

思い返すと、3年前、すべての楽器と機材を処分して、川崎まで引っ越してきたのだった。

文学からも、相場からも身を引き、音楽さえも止め、突然結婚して、弟子入りしたのだった。

そんなこと、もうずっと忘れてました。

あの時、道場で、意を決して、整体を教えて欲しいのですけど、と正座になって言うと、師匠は、いいですよー、と軽く言われたのだった。

後で聞くと、整体がやりたいことは身体を観ていてわかっていた、とのことだった。

3年間色々あったが、苦行は好きな方なので、稽古自体はなんでもなかった。

過去の資料を集めることも、それを読み込んで分析することも、なんでもなかった。

ずっと訓練してきたことだから。

特定の人間と密接な関係の中で、自分のすべてを変える必要があって、私はそれをした。

特殊なことを学んでいたので、密封して、圧縮して、圧を加えて加えて加えていった。元に戻る氣はなかったので、3年間、決して蓋を開けなかった。
この間、楽しい思い出しかない。

試験を受けましたが、そもそも普段から観ていて、どの程度できるかわかってますからねー、とのことだったので、まあそれもそうか、という感じで、やっぱり左右的に腰がくだけてゆく。

とはいえ研修生という立場ではなくなりましたので、どこか爽快な気分でもあります。
(2018年7月18日執筆)

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