湯本裕二

野口整体の道場の音和塾を主宰しています。中央線西八王子駅から徒歩4分です。 https…

湯本裕二

野口整体の道場の音和塾を主宰しています。中央線西八王子駅から徒歩4分です。 https://www.otowajuku.net/

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『クーヨン8月号』2024年7月3日発売

クレヨンハウスが発行している『クーヨン』という育児雑誌の8月号に、10ページに渡って「熱中症や夏バテしないための手当法」という趣旨の記事を書かせて頂きました。 『クーヨン』は0~6歳のお子さんを対象とした育児雑誌です。 野口整体の専門的な知識のないお母さまを念頭に置いて手当法をお伝えしました。 それでも一般の方からしますと、かなり難しいというか突飛な内容なのかもしれません。 説明不足のところもあると思います。 わかってはいるのですが、あんまり簡略化すると本質が失われて

    • リズム

      子供が生まれると、夫婦は子供中心になる。 最たるものが睡眠で、朝に子供が起きると、親も起きなくてはならない。 朝はまず子供が起きる。 起きると泣いてわめく。 部屋が暗いのが嫌のようだ。 こっちも起きる。 朝は抱っこから始まる。それから食事の用意をする。 毎日がこのリズム。 独身時代の休日のようにだらだら寝るなんてことはありえない。 無理やり起こされる。 食事の後は散歩、その後昼寝、起きたらおにぎりを食べてまた散歩と食材の買い物、帰って夕食の後に風呂。 子

      • 子供を預ける

        幼児を預ける施設があります。 一定の年齢になったら預けなくてはなりません。 様々な施設があります。 探しますと、それぞれまったく違います。 保育園、幼稚園、幼児園などがあります。 詳述しませんが方針がまったく違うわけです。 子供にとってはこれが初めての社会になります。 これが息子にとっての当たり前になるわけです。 我が身を振り返ると、かなり環境に影響される子供だったので、社会環境はほんとうに重要だと思いますが、子供が最初期に出会う社会は人工的で恣意的なものです

        • 発声

          息子は妙に言葉の習得が速い。動作もかなり素早い。 親としては成長が早いのは少し寂しい。 周りをよく観察しているから、最適な言葉が吐き出される。 言葉が遅い子を観ていると、周囲を観察していない。 息子は異常に周囲を観察している。 適度な言葉を発声するのは、観て聴いているからだ、そしてその前段に氣を感じている。 だから速度が速い。 子が氣を感じるには、親が子の氣を感じる必要がある。 親が感じて認識していないものを、子は感じないし認識しない。 氣がなければ、観察の

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        『クーヨン8月号』2024年7月3日発売

          ボタン

          1歳7ヵ月の息子が ボタンに興味を持った。 着衣の組成に関心が芽生えたのだろう。 この時期だな、と直感。 ここで左前右前と帯、下駄、草履を着せ履かせないともう無理だろうなと、直感した。 いまだ走り方歩き方はバラバラ。 これらがまとまる直前に伝統的な衣服を身に着けないと、民族の精神は身体に伝わらない。 衣服が身体をまとめ上げる。 服装の乱れは心の乱れ。 民族の衣装が身体を統一する。 身体が精神を統一する。 魂は山か海からやってくる。 身体は土から作られる。

          夫婦喧嘩

          夫婦喧嘩をすると、1才半の息子は氣を使ってさっさと寝る。 息子は言葉は20~30語位しか話せない。 二語文もまだ話せないが、空氣は読める。 ことばの意味は正確に理解していなくても、氣を感じる。 緊張を和らげようと妙な動きをしたりする。 私自身は夫婦仲が円満な家庭で育った。 兄も優しい人間だったので、貧乏だったが家庭にはそれなりに恵まれていたのだろう。 私共夫婦の間の緊張感が息子に細かく影響を与えるのをみていると、崩壊した家庭で育った方の大変さがわかってきた。

          夫婦喧嘩

          不思議

          息子が欠けた月を観て「まんまる」と言う。 何故か。 教えてもいないのにわかる。 月の本性が「まんまる」だということ。 欠けた月も満月も同じ月であると知っている。 それは認識しているというより、知っている、という感じ。 毎日月を見せているわけでもないのに。 実に不思議だ。 仮説としては、見ているのではなく、観ているのだということ、つまり息子は月を感じている。 目で月の形象を視認しているのではない。 だからつまり、光を見ているのではなく、闇を感じているというこ

          数字

          1才7ヵ月で数字を少し憶えた。 駐車場を歩いていたら、車のナンバープレートを指して「ご」とか「に」とか言う。 私が「これはごーにーななさん、だよ」などと訂正すると、それなりにその訂正に反応する。 しかしどうも数字の5と2のフォルムに反応していて覚えたようだ。 それ以外の数字は反応が鈍い。 また、SUZUKIのエンブレムの「S」も「5」に見えるようで、「ご」と言って反応していた。 この種の形態が好きみたいだ。 覚えたきっかけはエレベーターのボタンをいつも押したがる

          腹部第4

          子供が夜泣きをした。 腹部第4を弛めるためのようだった。 昼に多くの人に会ったのでストレスを感じていたようだ。 感情が鬱滞すると腹部第4が固くなる。 泣けば弛む。 泣くことは必要不可欠なこと。 大人でも必要か? 正直いってそれはわからない。 考えてみると、泣くという行為はとても不思議だ。 何故涙が出るか。 悲しみ苦しみ痛み。 感情が臨界を超えると涙が出る。 それにしても、何故目から水分が出るのか。 夜泣き中、息子はひたすら泣いて叫んでいた。 抱っこ

          ことばのまえ

          ことばが一才半でまったくでないお子さんがいると聞きました。 詳細な状況はよくわかないので、あくまで推測なのですが、ことばのまえにそもそもその子は声をだせないのではないでしょうか。 声というのは大声のことです。 大人の常識からすれば、なのですが。 自分の子供を観ていると、このくらいの子供は声の音量をまだ調整できない感じがします。 自分の声が大きいか小さいか、まだあまりわかっていないです。 この時期は、脳よりも喉の発達を優先するべきだと感じます。 大声をだすな、とい

          ことばのまえ

          公園で子供たちをぼーっとみていると

          ほぼ毎日公園で子供と遊びます。 妻と子と私の3人だけで、毎日過ごしています。 今年は特に、コロナのこともあり、また我々は子供を保育園に預けておりませんので、毎日3人だけで過ごしています。 誰も訪ねてきませんので、気楽なものです。 何時かはこの幸せな三角形が終わりを迎えます。 息子が言葉を憶えるまでの人格形成上の最重要の短い期間に、ほぼ3人だけで生活できたことを何者かに感謝せざるをえません。 ところで、公園で子供を遊ばせている間に、他の家の子供たちが遊んでいるのをぼ

          公園で子供たちをぼーっとみていると

          頭部第一

          子供が顔を近づけてくる。 私の手を取って、自分の顔に近づける。 私は自分の額、髪の生え際を子供の同じ処に接触させる。 子供はふふふと笑う。 この処を整体では頭部第一と呼ぶが、しかし、息子は何をしたいのか? 私の氣が上がっているのおさめたいのか。 はたまた自分の氣が上がっているのが不快なのか。 どちらかわからないが、兎に角、スーパーマーケットでの一齣。ほっと一息つく瞬間だった。 これを息子は日を替えて数回おこなった。 息子はまだほとんど言葉をしゃべれないが、お

          回転

          1才を過ぎてから。回転運動を認識するようになった。 ペットボトルの蓋。ドアノブ。 この二つは自然界にはほとんど存在しない構造のもの。 自分で回して開錠しようとする。 そのうちに自分も回転するようになった。 上を見上げて、くるくる回る。 この回転運動に関しては、オモテとウラの回転ではなく、上下に向かう渦巻き状のものなのだろう。 人間は出産時に、回転しながら産まれてくるわけだが、何か思い出してのことなんだろうか? (2020年10月1日執筆)

          子供が親を真似する

          子供の前で、悪ふざけをしていたら、子供がその悪ふざけを真似したので、驚いた。 これまで、子供の言うことなどを親が真似して、繰り返すことはあったけど、子供が親の言動を意識的に模倣することはなかった。 これがとても不思議な感覚で、昨日までは内面を感じなかった子供に内面を感じた。 (因みに文化左翼の言う「人間に内面など無い」というような言説は完全なる嘘であり出鱈目です。) 模倣といっても、その場の状況や、その動作と言葉の面白さを理解してのことだった。 機械的なものではない

          子供が親を真似する

          自立というが、あるいは

          子供の成長の速度が速い。 5回ほど滑り台の階段を上ったが、1回目と5回目は足取りが全く違った。 一日が始まり、一日が終わるころには、何もかもが変化している。 子供が、急に人間のような雰囲気になるので驚く。 この間は抱っこしないで、独りで寝た。 「自立」という言葉があるが、自分から独りで寝る、ということの意味は何なのか? 抱っこを要求せずに、自分独りで寝ることは、眠りが我々と分離し始めるということなのか。 眠りというより、「寝入る」という運動が独立分離するのだろう

          自立というが、あるいは

          桃とバーミヤン

          車に乗っていて通り過ぎるほんの一瞬だったんですが、 息子がバーミヤンの看板を見て、「もも!」と言った。 少し前に桃を食べさせていて、本人は味をたいそう氣にいって、すぐに「もも」という言葉を憶えた。 でも、そのまま忘れてました。 そうしたら、通りすがりに「もも!」言ったのでビックリ。 桃は皮を剝いて渡していたのですが、何となくわかるんですね。葉っぱも生えてなかったのに。 息子は3種なのか、食べ物に関しては言葉の憶えが良いようです。 それにしても最近は息子の裡で課題が

          桃とバーミヤン