取引の行方
一人、ボーっと海を眺めていると、どこからともなく悪魔が現れ、「よお」と馴れ馴れしく話しかけてきた。
黒のタキシード、ノリのきいた白シャツ、几帳面なまでに整えられた髪型、高級そうな革靴、そして端正な顔立ち。外見だけで考えるならば、金持ちで育ちのいい英国紳士のようだ。多くの人がそう思うだろう。しかし実際は違う。彼は悪魔なのだ。長い付き合いだから、どんな格好をしていようが、僕には分かる。
悪魔は、何の前置きもなく「取引をしよう」と言ってきた。
さっきまで穏やかだったはずの海は、ザワザワと、まるで彼を追い払いたいかのように、慌てふためき、波が大きく浜辺に打ち寄せている。
「もちろん、悪い取引なんかじゃない。お前も俺も得をする、win-winの関係だ」
悪魔は不気味に笑い、この世界に隠された重要な真実でも指し示すように、ピン、と右手の人差し指を立てた。
「『神など、この世にはいない』そう周りの人間に言いふらすだけでいい。それだけで、お前は億万長者になれる。高級車を何台も乗り回せる。もし望むなら、世界中が羨むようなハリウッドスターにしてやってもいい。ようするに、お前は、どんなものだって手に入れることができるんだ。どうだ?いい話だろ?」
波が段々高くなっているのを感じる。海の水が、砂浜に侵入してくる。空も暗くなってきた。何かに怯えるように、世界全体が震えているようだ。
「もし、断ったら?」
「断る?」わざとらしく大仰に、悪魔が目を見開く。そんな人間などいるものか、と高を括っているようだ。「お前は断らない。なぜなら心の底では、すべてを手に入れることを望んでいるからだ。今まで何千人と会ってきたが、断った奴なんか一人もいなかった」
シュー、シュー、と、波の音に交じって、悪魔の呼吸の音が聞こえる。耳の辺りまで切り裂かれたかのような口が、ニタリと歪む。
海は、いよいよ大きく荒れだし、砂浜を飲み込み始めた。
背中に嫌な汗が流れる。ベタッと、シャツが背中に張り付くような汗だ。 ドックンドックンと、心臓が何かに急き立てられるように動いている。
「わかった」と自分の声が聞こえ、えっ?と驚く。口が、身体が、勝手に話しているような感覚になる。
悪魔は、いやらしい笑顔で、パンッ!と手を叩き、「よし!取引成立だ」と嬉しそうに言った。「これでお前は、富も名声も、すべてを手に入れることができる。おめでとう。実に素晴らしい日だ」
波が打ち寄せ、海水に足が浸る。生暖かい水が、足を包みこんでいる。
「ひとつだけ、教えてほしい」
「なんだ?」
「神などこの世にはいない、と言いふらしたら、どんなことが起こるんだ? こんなことで、お前にメリットはあるのか?」
笑っているのだろうか、微笑んでいるのだろうか、悪魔の顔が不気味に蠢く。「ここで俺が、お前に教える必要などない。なぜなら、お前は、いつか必ず、この取引の結果を知ることができるのだから」
空が暗くなり、雷鳴が轟き、悪魔の笑い声が響き渡る。世界が、グラグラ、グラグラと揺れている。
と、すさまじく大きな波が、こちらへ向かってくるのが見える。
悪魔の笑い声が頭を叩く。執拗に、何度も。
いつの間に消えてしまったのか。あたりを見回してみるが、彼の姿はもうなかった。
なにかが弾けたような大きな音とともに、波に飲み込まれた瞬間、自分の身体が宙に浮きあがるのを感じた。強烈な流れに飲み込まれ、身体がどこかへと運ばれるのを感じる。もう自分がどこにいるのかも分からない。痛い。苦しい。意識を乱暴に引っ掻き回され、突然、フッと闇が訪れた。
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「おめでとう、元気な男の子ですよ」
彼女は、産まれてきたばかりの赤子を抱かせてもらった。
やわらかい体に、独特の匂い。精一杯振り絞るように、元気な声で泣いている。母親になった自覚が、ジワリと胸に広がり、目頭が熱くなった。
これから、この子は、どんな人生を歩むのだろう?大人になったら、どんな仕事をするのかな?
なんでもいい、元気に幸せに育ってくれさえすれば、なんでも。
赤子の頭を優しく撫でながら、母親は、いま、この瞬間の幸せを噛みしめていた。
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最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
『みんなのフォトギャラリー』から、ピンときた写真を選ばせて頂いて、 インスピレーションの湧くままにショートショートを書いてみました。
donguriさんの
『夏の夕暮れ。台風接近中』というタイトルの写真を使わせて頂きました。ありがとうございます。
この短い短い物語の続きに、どんな世界が広がっているのでしょうか。
悪魔が望む世界になっているのか? そもそも悪魔が望む世界とはどんな世界なのか?それとも,,,,,?
そんな風に、空想しながら、楽しみながら書きました(^^♪
今日も、すべてに、ありがとう✨
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