見出し画像

元講師が打ち明ける「歌手やシンガーソングライターを夢見る君へ:番外編」:「品」と「華」と「売れる声」について

知ったところでどうにもならないのが
「品」と「華」と「売れる声」


今回のテーマは、ずばり「品(ひん)」「華(はな)」「売れる声」だ。

最初に言う。

ごめん。「品」と「華」と「売れる声」だけは、君が生まれついて持っていなければ、どうにもならない。

「華」は、売れればついてくるようだけど、これから目指すという段階ではどうしようもないのだ。

じゃあなぜ伝えるのかというと、その存在を知り、自分にはそれがないことを知ることで、君が対抗策を考えるきっかけにしてほしいからだ。

それを知らないまま、「品」と「華」と「売れる声」を持ちつつ、すでに売れている歌手やシンガーソングライターと同じことをしても、勝ち目はほぼない。

もちろん売れている人で、「品」と「華」と「売れる声」を持っていない人もたくさんいるのだ。

そもそも、「品」「華」「売れる声」を一個持っているだけでもかなりラッキー。3つ持っているなんてそれこそ年に1人いるかいないかだろう。

じゃあ「持たざる人」で、売れている人たちはどんな工夫をしているのか?

今回も気楽に、考えながら読んでみてほしい。

「品」とは

「品(ひん)」とは、その人から感じる上品さのことだ。

素人同然の人が、メジャーな事務所やレコード会社に急に所属できているような場合、この「品」が半端じゃないことが多い。

わかりやすい例で言えば、ずばり芦田愛菜さん。

もちろん会ったことも近くで見かけたこともないが、テレビの画面からも十二分にその「品」は伝わる。

あとは長らく主婦でお休みされていたが女優として復帰した鈴木保奈美さん。

あの人もすごい。もう、その場にいるだけですごい。

演技は専門外なのでよくわからないが、おそらく演技力もすごいうえ、あの品と華。だから鈴木さんがそこにいるだけでドラマの画が締まり、上質な説得力が生じる。

歌手で言えば、誰もが「品」を十二分に感じられるレベルといえばやはり美空ひばりさんになる。

あとは松たか子さんとか。

松さんはすごい。女優としてもすごいんだろうけど、品以外も含めて歌手としてはもうね、最強。

松たか子さんについては何か別の記事で取り上げられればと思う。

わかるだろうか。「品」というのは、本人は自然体なのに、その人からオーラのように感じられる上品さで、思わず憧れてしまうというか、心奪われてしまうというか、カリスマ性のような強引さもなく、ああずっとそこにいてほしい、というような雰囲気のことだ。

「品」だけはもうほんとに、生まれついて持っていない限りはどうしようもない。

性格がよさそうな人とか、信頼できそうな人とか、そういうレベルではないのだ。

もちろん、「品」にも量があるので、半端なく「品」があるという人もあれば、どこか「品」があるという人もいるが、オーディションとか、画面内で数秒見かけるとか、そういう場面で「品」の良さは、ぱっと光り輝いてしまう。

「品」がある人が自分でそれを自覚するかどうかはあまり関係ない。というか自覚する必要もないし、本人が自覚しようがしまいが「品」はあり続けるので、努力とかでもない。ほんと、これはしょうがないのだ。

「品」がある人にも向いてない分野がある。それは「下品なこと」だ。

「品」とはある意味で浮世離れ感でもある。だから、庶民的なことをしてもどこか上品になるし、下品だからこそ面白い、みたいなものをやると「違和感」が出てしまうことすらある。

だからエログロ系も不向きと言える。やったとしても、クレイジー感が出にくい。どこかに真っ当さが残ってしまうのだ。

また、いろいろな意味での「振り切る」という部分も出にくい。
まあそう言いつつ振り切っちゃえる人もいるけど・・・。

なんか何をどうしていても余裕があるように見えちゃうんだよね。これは本人にも辛い部分かも。

本当は本人がめちゃくちゃ辛い状況でも、なんか優雅に見えてしまうというか。

「品」がある人が強い理由の一つは、「上品さは公共の場に出しやすい」ということだ。

上品なものは、時と場を選ばない。

朝でも昼でも夜でもいい。大人相手でも子ども相手でも、高齢者相手でもいいし、NHKでもいいし、食パンのCMでもいいし、行政が主催するイベントでも、何の問題もなく出演できる。

どういうことか。

じゃあ違うタイプの架空のタレントを想像してみよう。

筋肉自慢のマッチョな男性だったらどうだろう。

売れる前だとして、とにかく個性をアピールしたいから、常にパンツ1丁でステージに立っている人だとする。

顔つきは純和風としよう。
ヨーロッパ系だとローマの彫刻みたいで逆に上品になるかもしれないから。

あ、でも、全く下品ではないということにするよ。
明るくて元気な人と設定してみる。

で、上品さと比べて何が不利なのかというと、

まず、基本パンツ1丁の時点で、行政がやっているイベントは出られないだろう。公共性の高い一流企業のイベントもだめだろうな。
NHKも新人でパンツ1丁の人は厳しいだろうなあ。

なかやまきんに君くらい売れていて、筋肉を主軸としながらも様々な側面の魅力があったり実績があったりという人なら別だけと。実際昨日NHK教育に出てたのを見たし。それでもまあ行政系のイベントは厳しめかな。もちろん服は着ないとだめ。

わかるだろうか。

食パンのCMでも、プロテインマシマシの機能性食パンとかならいいけど、ごく一般的なさわやかな朝の白基調の食卓で、普通の食パンを、パンツ1丁の黒光りした男性がもしゃもしゃと食パンをがっついていたとして、多くの視聴者がそれ見ることで食パンを食べようかしら、となるだろうか?

まあインパクト的には面白いから意外にそうなるかもしれないけど・・・。

そもそも食パンはスーパーで売っているような安い食材なのだ。
だからこそ清潔感や高級感とか上品さというイメージを付加したい。

食パンのCMに出ている人を思い浮かべると、どこか上品さがある人が出ていることがわかる。

一方、黒光りの肉の塊のようなマッチョなパンツ1丁の男性に対しては、もちろん好きな人はかなり好きなのだが、苦手な人もいる。

パンツ1丁はインパクトと引き換えに、自分から出演できる媒体の範囲を狭めるリスキーな戦略なのだ。これは君が自分をどう売っていくかのヒントにもなるだろう。

行政のイベントの費用は税金なので、みんなの理解が得られないと政治家や行政組織に批判がいく。一流企業やNHKの予算も公共性が高い。だからこそ、みんなから好かれやすい「上品さ」が強いのだ。

このように「品」があると、どんな場面でも受け入れられやすいし、歌を歌うとなっても「聴いてみようか」になるし、何らかのストーリーを乗っけても「絵」というか「物語」になってしまう。うーん、やはり強い。


「華」とは

「華(はな)」とは、その人から感じられる華やかさのことだ。

これは「品」に比べるとイメージしやすいかもしれない。

誰かを見た時に「この人、垢ぬけているというか、なんとなく派手に見えるなあ」という感じがしたら、その人には「華」がある、ということになる。

「華」にはいろいろな種類がある。
「品」にも人によって違いがあるが、「華」のほうが範囲が広い。

例えば、明るくて元気な人の「華」もあるだろうし、妖しく色気のある「華」もある。

また、「華」は、メイクや衣装で増強することができる。

例えば誰なのかといえば、これはいろいろな「華」があるので、テレビにバンバン出ているような人、とても人気のある華やかなインフルエンサーなら大体該当してしまう。

テレビやスマホでは毎日見ているのに、自分の周りにはあまりいないどこかパッと明るい感じと艶っぽさのある人。まあそういう感じだ。

芸能人は多くの人に「華」があるので、あえてスポーツ選手を例に挙げよう。

大谷翔平さん、吉田沙保里さんなどは強烈な「華」がある。

スポーツは記録という数字なので、金メダルと取ったとか、新記録を作ったという選手であれば、人々からの注目を浴びる要件は等しく満たしているはずだ。

それなのに、選手によって実際に世間からの注目を浴びる度合は全然違う。
もちろん、選手本人が安易な露出を避ける場合もあるだろうが、スポーツ選手としての実績とは別に、本人が持つ光り輝く魅力、それが「華」だ。

「華」は、有名ではない一般の人にも備わっていることがあるが、最初はあまり「華」がない人でも、人から見られることによって「華」が備わってくることがある。

なんというか、多くの人から注目されることによって初めて育ってくる自信というか、独りぼっちであれこれやっても「華」はついてこないと思われる。

ただ、誰でも同じペースで「華」が備わってくるということはなく、ある程度人前に出ていても「華」が強くなりにくい人もいる。

もし誰かに「華」があると言われたら、どんどん人前に出てアピールやパフォーマンスを積み、メイクや衣装など、自分の魅力を増強するテクニックも磨いて、「華」を強くしていくとよい。

やはり「華」のある人はオーディションに合格しやすく、自力での動画配信などでも売れやすい。

あ、あと、本当はすごーく気の小さい人なんだけど、そんな自分をカバーするような意味合いで、個性強めの攻め攻めなメイクやファッションに身を包み、その結果「華」をまとっているというパターンもある。

これは売れる売れないとかには関係ないのだが、近寄りがたいくらい強い「華」を感じるのに、話してみるととっても気が小さい繊細な人だった、みたいなことがたまにあって、人間の奥深さを感じることが何度かあった。


「売れる声」とは


「売れる声」とは歌唱力とか発声の技術とかはあまり関係なく、録音したらすぐに商品として売り出せる、というような声のことだ。

語弊があるかもしれないが、事実として「売れる声」というのはある。

歌手の大きな魅力の一つはやっぱり声なので、君がもし「売れる声」を持っていたら、人よりも10倍100倍攻撃力のある武器を最初から持っていることになる。

ただ、最初から自分が「売れる声」だと自覚できる人はあんまりいないような気がする。

私も教え子の中で何人か「売れる声」を持つ人に出会ったが、自分が「売れる声」という強烈な武器を持っていることに気づいていない人ばかりだった。

そんな時、私は最初に「売れる声だねー」と教えるのだが、そういう人に限って無頓着というか、「売れる声」だと言われてもきょとんとしており、自分の最終兵器を存分に生かせばいいのに、全然別のことを努力したり心配したりしているのだ。

「売れる声」でわかりやすい人と言えばやはりMISIAさんになる。

最近の女性歌手ではAdoさんになるだろう。

男性歌手だと小田和正さんとか槇原敬之さんとかになるだろう。

最近の男性歌手では・・・私の勉強不足もあり、ちょっと思いつかない。

声質がクリアとか、ハスキーだとか、柔らかいとかパワフルとか、そういう問題ではないのだ。伝わるかわからないが「唯一無二」の感じというか、バチっと決まる!という感じだ。

若い人には、人気声優さんの声などもイメージしやすいかもしれない。かっこいい声の人はたくさんいるんだけど、この人の声、この人だけの声、最高!みたいな感じというか。

私もそんなに大人数の「売れる声」の人に出会っているわけではないのだが、「売れる声」の人の特徴のひとつして、話し声と歌声の感じが全然違う、というのがある。

プロとしての歌唱力をつけた人なら、もちろん話し声と歌声は全然変わってくる。声が変わるんじゃなくて、説得力、柔軟性、響き、声量など、やはりプロとしての声なんだな、と納得させられるものがある。

しかし、「売れる声」の場合、それとも違う。歌唱力とか発声の技術が発展途上な頃から、話し声と歌声が思いっきり違うのだ。例えば話し声がぼそぼそしていたとしても、歌になると太陽を近くで直視しているかのような熱くごうごうと輝きだすというか、そういう風に変わるのだ。

ファンの方ならご存じだと思うが、MISIAさんのインタビューとかラジオとかで普通に話している声を聴いてみてほしい。とてもかわいいのだ。

なんというか、小動物を連想するくらいかわいい。
でも、歌になると、豊かな生命力・深み・伸びやかさ、心にすっと入ってくるような感情というか、一言では言い表せない歌声になるのだ。

「売れる声」の持つ特徴のもう一つは、録音するとバチっと決まってくるというものがある。

発声の技術が発展途上であろうが、安いマイクと録音機材とかでも、録り音を聴くととてもいい感じになっているのだ。
というか、そういう安物で録音しても輝いてしまうのでわかりやすいというか。

私は音楽の仕事をしていて、ある時期から、以前より音質にこだわらなくなった。きっかけは「売れる声」を持つ人の歌を録音したからだ。

録音物にノイズが乗っていようが、いい音楽はいい。ノイズの一切ない超クリアでハイファイな録音でも、中身が弱いと残念だ・・・。

あ、脱線してしまった。マイクとかの話もいつか書こう。

あ、でも、音質にこだわらなくていいって意味じゃないからね。
ミュージシャンは音を提供するプロなので、音のクオリティはとても重要だ。
ライブでも録音物でも、自分の出来得る最高の音を聴く人に渡そうという姿勢は基本だ。その大切さというか凄さがわかったうえでの話ね。


もちろん、そういう「売れる声」の人が、一流のレコーディングスタジオとスタッフのもとで録音を行えば、まさに「鬼に金棒」でしかない。
スタッフも録音するそばからバッチリの歌声なので、やる気の出方も半端ないだろう。

「売れる声」は声質なので、私も含め、もともと持っていなければ本当にどうしようもない。持っている人は選ばれし大ラッキーな人なのだ。

「品」も「華」も「売れる声」も持たない私たちの戦略

ここまでに紹介した「品」や「華」や「売れる声」を持つ人々は、オーディションや、複数の歌い手が一緒に歌うライブなどでは無双の強さを発揮する。

特にオーディションではピッカピカに光を放つ。

凡人が不用意に隣に立ってしまったら、その光にかき消されて見えなくなり、あれ?いたっけ?みたいになってもおかしくない。

まあ、ただ、我々凡人にしてみたら、最初から自分にないものを意識しても意味がないわけだ。

自分の中にあるものを見て、自分が得られているものに気づいていくことが、歌手やシンガーソングライターになるためにも、それ以外の人生で幸せになるためにも、最優先すべきことだと思う。

「自分に気付く」ってなかなか難しいよね。
でもそれこそが、幸せへの一本道な気がする。

ただまあ、きれいごとばかりでもない。

オーディションでも、同業者としても、やっぱり「ライバルが武器として持っているものが、自分にはない」ということは、早く納得してしまったほうがいい。

では、私たち「持たざる者」はどう工夫していけばいいのか

残念ながら、「品」に対しては対抗策はない。

決して差別的な概念ではないことを理解してほしい。

誤解を恐れずに言えば、本当に「品」に関しては本人の素質×育ちの部分なので、まあ仕方がないのだ。

いわゆる上流階級のような家庭に生まれ育ったからといって、必ずしも「品」が身につくということでもないようだ。

ただ、すごい「品」を持っている人というのも、そもそもあんまりいないので、そこはいろいろ構えなくてもいいと思う。

「華」に対しては、やりようがある。

有名になった人がしばらくして「華」をよりはっきりと身につけるようになることがあることからも、やりようで「華」を強化できることがわかる。

まずは月並みではあるが、外見も内面も自分をブラッシュアップしていくこと。

ファッションもメイクも理論であり、学べば誰でも向上する。

あとは人でも生物でもアートでも、美しいものに近づき、触れること。

活き活きと生きること。

あとは多くの人に常日頃から見られること、注目されること。

「華」にもいくつか種類がある。自分の好きなものを追っていくことで自分に合う「華」が備わってくる可能性はある。

ただ、いくら頑張っても「華」がある人になるかどうかはわからない。
「華」が身につくかどうかは人によるのだ。

まあ「華」がある人と言われたらラッキーくらいに思って、気楽に試行錯誤するしかない。

「華」とは少し違うが、「存在感」も努力によって育てられると思う。
誰でも、その個性の中に「芽」が出ている。
それを見つけ育てていくということだ。

この「芽」を見つけるためには、他人からどう見えるかがヒントになる。
ただ、他人なら誰でもいいわけではない。

少数ながら、他人のことを愛情を持って見て、その人のよい所を上手に見つけて教えてくれる、そんな天使のような人がいるのだ。
そういう人を探して、見てもらって、教えてもらおう。


「売れる声」については、これも基本的には「売れる声」そのものに対する対抗策はない。

しかし、代わりの策はある。歌い方にクセを付けるのだ。

声質的にあまりクリアではない声とか、細い声の人で、独特の歌い方をしている歌い手が結構たくさんいる。

あ、でも最近の若い人にはあまりいないかなあ。
素直に歌っている人のほうが多い印象。
でも、逆にいえば最近あまり使われていない手なのでむしろお得かもしれない。

プロの歌手で、もし君が「変な歌い方だな・・なんであんな歌い方するんだろう」みたいに思わせる人がいたら、その人はいろいろ努力をして、自分の個性を磨いてきたのかもしれない。

具体例は敢えて挙げない。
自分で探して「この人のこの感じかな」と思ってもらうほうがヒントになる。
何人もいるから探してみてほしい。

代わりに、ヒントになる例として長渕剛さんの歌を聴いてみよう。

特に、デビューしたばかりのころの長渕さんの歌と、2000年代以降の長渕さんの歌を聴き比べてみてほしい。

デビューしたばかりの頃の長渕さんの歌声は、とてもきれいだった。

歌い方も素直できれいだった。

対して、2000年代以降の長渕さんの歌声は、同じ人が歌っているとは思えないほど別物になっている。

真意はご本人にしかわからないが、人間の情の良い部分も悪い部分も全てねじり出してやろうというか、迫真の心をぶつけて人々に生きる活力を与えるというか、しわがれたガラガラ声のうなり声からそんなエネルギーを感じさせる。私はどっちの歌い方も好きだ。

もちろん長渕さんは私たちのような庶民とは全然違って、まずは「とっくに売れており、その後、自分の表現を突き詰める中で、歌い方が変わった」ということなのだが、歌い方にクセをつけるという部分では、同じ人の歌い方でも大きく変えることができるというヒントになるだろう。

根本的なこととして、歌の場合、発声の技術と、パフォーマンスは全く別の話なのだ。

発声として正しい方法を学ぶのは、

「プロとして長時間長期間歌い続けても喉を壊さないようにするため」なのと

「自分のしたいパフォーマンスが思い通りにできる技術を身につけるため」だ。

大切なのは「どう歌うのか」だ。

誰に何を伝えたいのか、それを伝えるために、どう歌うのか。

それが仮に喉に負担をかける歌い方だとして、それを毎日何時間も歌っても耐えられるように、正しい発声と基礎力を付けるということ。

もう一人のヒントとしては矢野顕子さん。

矢野さんも声に個性がないから歌い方にクセを付けてるとかでは全くない。
矢野さんの場合、弾き語りのピアノも歌もシンプルに超天才なのである。
ピッチャーもバッターもメジャーレベルで二刀流という大谷翔平さんと同じような感じだ。

しかし、歌に注目してみると、その味の付け方、歌いながら遊んでいるというか楽しんでいるというか、自由奔放に表現するその感じは決して発声の技術で聴く人をねじ伏せるものではなく、さらに自分の声質に頼っているのではなく、自分の声を活かして遊んでいる感じなのだ。

長渕さんのように剛の歌ではなく、とってもやわらかい歌い方なのだが、強い感じでも柔らかい感じでも、どちらの歌も私の心をしっかりととらえる魅力を持っている。

矢野さんの歌の、やさしくやわらかく、いろいろな感情が幼児の遊びのように自由奔放に出ている様子から、君が何かを感じ取り、君の声を活かして、常識にとらわれない自由な歌い方を作り出してほしい。


番外編として今回は「品」と「華」と「売れる声」について取り上げてみた。まあ知っているからといってどうということもないのだが、君の個性をブラッシュアップする参考になったら嬉しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?