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音楽の習い事で月謝を無駄にしないためのマインドセットを考察

音楽の習い事において、どんなレッスンを求めますか?

熱い指導ゆえに厳しく叱られることもあり、時には涙してしまうような、でもその分努力に対する手応えをしっかり感じられる、緊張感あるレッスン。

生徒のペースに合わせたゆとりある指導で、前回のレッスンから進歩していなくても、今ある中から良いポイントを見出してくれる褒めて伸ばす型のレッスン。

結論、今の時代に選ばれるのは後者でしょう。
ただ、昭和生まれだと、少数ながら前者派もいるのではないでしょうか。

筆者の場合は年代も考え方も前者に該当します。
個人の体験談ですが、子供のころの習い事は緊張感のあるものばかりでした。
ピアノのレッスンでは「何度言われてもできないのはやる気がないから」とピシャリ、バイオリンのレッスンでは弾き始めて数分で、譜読みをやっていないことがバレ、「今日はもう帰りなさい」と言われたことも。
こういうレッスンアプローチ、今ではめっきり聞かなくなっている気がしますね。
それどころか、全く練習していかなかったとしても、「レッスンで弾く/やるだけでも違いますよ」と言われ、忙しい親御さんはそれで安心してしまう。
仮に、「うちの子どうでしょうか…」と質問した際、先生が、「もっと練習してきてください」とか、「お母さんももっと協力してくださらないと…」などと言おうものなら、思ってたのと違う、とひどくがっかりし、最悪の場合辞めてしまうでしょう。

仕事柄、習い事現場の最新事情を色々とリサーチして多数のサンプルを集めましたが、褒めて伸ばす以外の選択肢は、ほぼないというのが実量でした。
熱い厳しい指導は多くの場合求められていなく、楽しんでるうちに身につく、といった魔法のようなステータスがすべからく求められていると言えます。
また、習い事自体の目的も、技術の習得から、「度胸がつく」「羞恥心を克服する」「礼儀が身につく」「体幹がしっかりする」など、横にずらしたような副産物のようなところに着地している状況もよく目にします。

「一石●鳥!」のような印象を持たせますが、
実際は、技術の習得を目的にすれば教える側は必然的に厳しくなるし、受ける側も気合いを入れて家庭での練習をしなければならない。「お互いがガチで取り組むコース」から逃げているだけのように感じます。

昨今のゆとりある教育情勢を見ているとこうなっているのは当然のことと感じつつ、ピアノなどの習い事は義務でもない上に月謝の相場は高額です。やはり「習得に対しての課金」であるべきだと思います。

最近、とある企業型の音楽教室で講師研修を受けました。
その時に言われたことは、「とにかく生徒を楽しませるレッスンをしてください」ということ。
そのほか、「時間を絶対に寸分たりともずらさない」(クレームに繋がる)、「
怒らない」「言葉遣いに細心の注意を払う」といったことも。

一見間違ったことは言っていないようですが、「楽しませる」ことに優先するとなると、技術の習得が目的ではないということになります。中には稀にそれで上手になる子もいると思いますが、多くはありません。では、生徒に対して何をコミットしているのか?

ここで「怒らない」に対して考えてみます。
大体の親御さんは、「怒られると、(子供が)せっかくあったやる気をなくす」と思っています。その過保護なムードをよく察知している子供もまた、そこに便乗していく傾向にあるので、教える側は非常に本音が言いにくい状況になります。
今や「怒る」ことは悪者扱いで、大概の教室では怒らないレッスンが実施
されているのではないでしょうか。

先述の通り、時代や背景ともに熱いレッスンを支持し、習い事の目的は技術の習得でしかない、と思っている筆者ですが、「怒るレッスン」がいいとは全く思っていません。ただ、全ての生徒さんのために確実に必要だと思っているのが「勿体なさ」を知ることです。
練習をして準備をしなければ、先生の前でうまく弾くことはできませんが、そこで先生が普段通りの態度をとれば、練習していかなかったことが問題なかったことになってしまいますよね。つまり何も感じないので、全く成長することができません。

ここで大切なのは、練習していかなかったことが勿体無いことであるということを、先生が生徒に解らせてあげることだと思っています。
色々な言い方があると思いますが、例えば「譜読みしてきていないと、せっかくレッスンで進めるはずだったもっと大切なことができないね」といったように、この時間を活用できていない、それは勿体無いことだと理解すること。
せっかくのレッスンが勿体無い。これは、親にも子どもにも理解していただきたい感覚で、これに少しでも早く気づくことで、必然的に上達へのプロセスが埋まっていく。充実したレッスンを一度体感すれば、逆に充実していないレッスンに敏感になり、つまるところは練習をし続けるはずです。

そして、この「勿体なさ」の理解を邪魔してしまうものの一つが、よくある企業型教室のキャンペーンや特典だと思っています。
無料体験までは許容範囲ですが(これも正直その後100%勧誘をすることを考えると少額でも有料にした方がお互いにとってリーズナブルだと思いますが)、

入会金無料、半額
無料⚫︎⚫︎プレゼント
⚫︎ヶ月間月謝⚫︎%割引
設備費無料
などなど…

そもそも入会金って何?というのが筆者の理論で、言ってしまえば成果報酬型からは逸脱した預かり金のようなものが入会金です。これを半額にしようが無料にしようが本来は全く生徒の得になっているわけではないのに、表現のマジックでお得な感じにしているのも懸念点です。

無料プレゼントは、なんと楽器をあげちゃってる教室もありますが、これは製造業もやっているところにはままある事例です。無料レンタルをしている教室も多いです。

月謝の割引はよく「春の応援キャンペーン」など期間限定のものとして見かけますが、真っ当な理由なしに、月謝は割り引かない方が良いです。

設備費無料は、「設備費を取られる」ことを前提としてしまっていて、教室の経費を生徒が負担しているように見えるので、経営として必要であれば月謝に上乗せしておくべきではないでしょうか。

まだまだ挙げればキリがないですが、こういった「レッスンの価値」が根底から揺らぐような割引キャンペーンシステムが当たり前のように横行していると、当然、勿体なさには意識がいかなくなるでしょう。むしろ、習い事にお得さを求めてしまい、本来の目的からどんどんずれていってしまう恐れがあります。

目先のお得さをぶら下げてレッスン自体が提供する価値を曖昧にするというのは、企業型の音楽教室にはよく見られ、一つのビジネスモデルになっています。物価高に賃金低迷、タイパやコスパが日々叫ばれる現代。あの手この手で生徒の取り合いが行われているので、教室のアピール合戦の一つとして、キャンペーン・特典文化は根強く定着してしまったものと思われます。

習い事に求めるものはそれこそ人それぞれですが、「何にお金を払いたいか」「納得して払うことができるプロセスやゴールは何なのか」ということは、生徒になる側の方々にもぜひ一考していただきたいことです。
それをイメージしてもらうことが、日本の習い事市場の内容を、少しずつでも正常化していくことに繋がるのではないかと、一講師としては考えるのでした。

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