体調のパラメーターとGtの機嫌

子供の頃雨が好きだった。他のサイトでも同じような日記か記事を書いたけど、小学4年の4月末頃に引越しをして、隣町へ。親の借家から一軒家の主の為。距離にしても1kmも離れて無いだろう。しかし、学区が違って別の小学校へ転校することになった。兄は変わらず同じ中学校。しかも、その中学校が目の前と、まあ、面白い環境だった。中学校のグランド側に細い道、田圃道が舗装された感じかなぁ、そこを抜けて市の大きな公園に出て、山側に向かったら、電車をまたいだ道路があり、上って下ると前に住んでいた家に着く。細い道は車は通れない。川が流れていて、その川のおかげで学区が変わってしまう。家の裏に公園があり、川が流れていて階段のついた橋がある。前の学区に行くためには線路とその川を超える必要があった。引越ししてGWもあり、2週間ぐらいは家にいた。猫も飼っていたので、テレビと猫で暇をもてあます。教科書をめくるような真面目な性格ではなかったし、ガキの頃と同じようにテレビと母親が内職で捗るようにラジオをかけていた。それがオイラの情報源で、今の根本的な情報だろう。年齢を重ねる毎に情報を知識に変えていった。半年ぐらい過ぎたあたりで、親が異変に気づいた。元いた場所は、昔ながらのガキ大将が居て、その下で遊んでいたものだ。歳も一番下だったからまあ、五月蝿がられて居ただろう。しかし、同年代の近所の友達、学友と一般的な小学生活を送っていた。引越ししてからというもの、友達が居なかった。たまに前の学区に遊びに行ったり、児童センターなるものがあったので、そこに遊びに行ったりと。今住んでいる場所での友達、学友がいないのだ。

そんな事もあり、前に住んでいた時は習い事をしていたが、全て辞めてしまい同じように習い事をさせようと親は思ったみたいだった。通っていた小学校にサッカースクールがあってそこに行くよう促された。朝練は自由参加だが前述の市の公園で行っており、夕方は小学校のグランドで行っていた。運動が大の苦手、運動音痴な自分は体力も無ければ、人より早く走れるわけでもない。サッカーボールすらまともに蹴る事ができない。それでもやれることができたと最初は喜んで行っていたものだ。丁度、ジャンプでキャプテン翼が流行っていた事もあり、結構習いに来ている同学年も多かった。また、小学校を起点に違う学区の子も入れるので、一部学区の違う小学生もいたな。ボールを追いかけて、取ったり取られたり、パスを回して、シュート。ミニサッカーとか、自分たちで考えたゲームをしてサッカーの上達を図っていたものだ。その甲斐あってか4年生の頃は学友もでき、近所の子とも少しずつ打ち解けてきた。近所の同学年の子は先生の子で、至って真面目。狭隘でキャッチボールして、他の子と遊ぼうとしない。「自分は違うのだ」というオーラがありありと子供心にも分かった。ひとつ上の子は内向的で最初はよく遊んだりもしたが、自分が他の近所の子と仲良くなりだしたら疎遠になってしまった。平行して、サッカースクールは通っていた。

ここのサッカースクールのコーチがまた厄介者。一応通っている小学校の先生をしているが、鬼がつくぐらいの厳しさ。特にいやだったのは上級生と下級生のチーム戦だった。5年生に上がる頃には練習ないようにも実戦が増えた。同級生同士では数が足らない、しかし、学年別だと数が同数。4年生は本当に遊び程度。17時には解散だったし、ボールを蹴る事が多い練習だった。そんな5年生は6年生と勝負しても敵うはずがない。体格も差が出始める頃だし、コーチの考えは「6年は勝つプレーを覚えて、5年はどうすれば勝てるかを考える」という方針だった。

運動音痴のオイラは格好の的だった。足をわざと踏まれてボールを取られて、技とボールをぶつけて怯んだスキにオイラを抜いていく。面白いはずがない。段々とスクールが億劫になってきた。近所のガキ共とつるんで、ファミコンをしている方が楽しかった。

雨が降ると練習は中止になった。堂々とスクールを休める。しかも友達の家でファミコンができる。(家は貧乏だったのでファミコンはあっても電気代が高く付くという理由でさせてもらえなかったし、カセットも数える程しかなかった)

そこで比重が完全に変わった。5年の後半は全く行かなくなって、親に「もういいの?」と言わせた。自分から言うのが怖く、ちゃんと自分の意思を言えない子供だった。6年に上がる頃には完全にスクールを辞めていた。そんな性格だったのか、性分だったのか、自分の決め事はガキの頃からもってなかった。芯が無いというか。人が言ったから、これは面白い、面白くない。人が好きだから自分も好きになる。中学の部活も学友が野球部を希望していたから自分も野球部に入ったようなもの。サードを希望していたので、自分もサードを希望。3年間続ける事ができたけど、補欠だった。レギュラーにはなれなかった。まだ背番号を貰えただけましだったか。

野球部でつるんでいた学友も親友に変わり、好きな音楽、バンドを組もうぜとヒャッハー状態。雨の日は決まって誰かの家に集まってBoφwyの曲を聞いたり、尾崎豊の曲を聞いたり、Gtを買ったから俺弾けるようになる!とか言って友達はB.BLUEをずっと弾いていたな。

雨だからできた事だったんだな。3年の最後の夏は一回戦負けで直ぐに野球部は卒業。高校入試も控えているのに、バンドブームが学校内では流行っていた。誰かしら、スコアを持っていて、音楽室のDrsを勝手に叩いて怒られたり、少ないお小遣いを出し合ってスタジオを借りたり。自分は途中で親の反対を食らってバンドを降りたけど、実際に市の大部屋を借りてLiveしてたな。後ろでポケットに手を突っ込んで壁にもたれて、「本当ならオイラがステージにたってたんだよな」と悔しくて、途中で抜け出した。

そこからかな。高校に入って、吹奏楽部で音楽をやって音楽の楽しさを覚えて。吹奏楽部に入ったのは彼女作る為だったのだが…。女の子が多く、話す機会が多いから、確率は高いだろうと思っていたけど、入ってすぐに彼女はできた。まあ、これは別の話でw。

高1の正月にYAMAHAのGt初心者セットを買ったのが初めてのギターだった。RGXだったかな。吹奏楽部ではTubaを担当することになっていたので、八分は刻めるが、16分になるとリズムがとれない。曲を聞いてこうか、と後で理解する。だけど、リズム感も音感も無い自分はすぐにできなくなる。諦めて、コード弾に徹する事になったのも遠い思いで。当時は弾き語りが珍しい方だったので、歌うが、彼女から音痴とダメ出し。それでもGtを、コード弾でも楽しかった。自分の野望は達成できたけど、音楽、吹奏楽が楽しくて、結局、社会に出てからも一般バンドに席をおいたなぁ。

そんな生活を送っていたら、雨が嫌いになった。彼女とのデートの約束。スタジオ行く際に楽器が濡れてしまう。カッコつけて吸っていた煙草がすぐ消える。…その頃ぐらいから頭が重く感じ始める。

今は雨の日や台風の日は気圧でやられてしまう。鬱をもつとろくなもんじゃない。また台風が近づいているけど、今はそれどころじゃない。平然を装っているけどやっぱり恐怖心が徐々に高まってくるのが分かる。それに応えたのかな?オイラのLP、すごく調律があんていしない。一応、ペグ周りやブリッジ分かる範囲は調整してみたけど、弦が伸び切るわけでもないのにチョーキングの度に音が下がる。ギターが寂しがっている。家内がそう言ってくれた。

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せっかくピックも中々気に入ったものが無いから通販したけど、入院した後だな。試しに一枚弾いてみたが、やっぱりしっくりこない。HEAVYではだめか。おいおい、天下のFender様でしょ。バシッと決めてほしかったな。

今日はついつい長くなったけど、明日は台風が接近しているにも関わらず、バイトの最終日。そろそろ寝るとしますか。

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