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大人の島留学

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丸ごと自分を島に投げ込んでみませんか?隠岐島前3町村(海士町・西ノ島・知夫村)で、仕事や普段の暮らしに挑戦できる1年間の就労型お試し移住制度のすゝめ
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#私の仕事

”1島民として、島の最前線でまちづくりを担う”大人の島留学制度をご存じですか?

こんにちは。 #離島にもっと若者の還流をnote担当の大人の島留学生田中です。 突然ですが、皆さん。 自分を島に丸ごと投げ込んでみませんか? 「島暮らしってなんだか自分には縁のない、遠くの場所にあるもののような、でも、なんだかちょっと気になる場所。」 「島には帰りたいけど、今どんな仕事があるか分からない。今の自分で島に帰っていいんだろうか…。」 きっと色んな印象がある島での暮らしですが、 「取り敢えず、島来てみませんか。」というご提案。 ”今” から ”次” の

海士町noteを書いて、シゴトと暮らしと1年間。

海士町に来島し、気づけば1年が経とうとしています。 海士町noteスタッフの渋谷です。 1年間の仕事は?大人の島留学生として2023年4月に来島。 海士町役場総務課に所属し、1年間こちらの仕事をしてきました。 海士町note、下半期を振り返る📝メインの仕事はnoteの執筆。 半年前にはこちらの振り返りnoteを作成しました。 下半期の振り返りnoteとして、今回は、11月ー3月 下半期の記事を振り返っていきたいと思います!! 11月 海士町秋の一大イベント産業文化祭レ

季節と一緒に、海士町での1年間を振り返ります

昨年の4月から大人の島留学に参画し、海士町で暮らして1年が経ちました。 海士町noteスタッフの柿添です。 半年を振り返った日からあっという間に1年を振り返る時期になりました。 そしてこのnoteが、私が海士町noteで書く最後の1本となります。 1年が経った今、私が海士町で過ごした時間を振り返ってみます! ▼半年を振り返ったnoteはこちら! 私はこの1年間、 ・ないものはない海士町公式note ・♯離島にもっと若者の還流をnote ↑主にこちらの2アカウントの記事

「何もない」という豊かさを求めて。島に来た今思うこと。

今回は、R5年度大人の島留学生として知夫里島に来島して働いている細川なつ子さんにインタビュー。 離島まで残り3ヶ月。島での生活を通して感じたことや、これからのことについてお聞きしました。 東京にはないものを求めて 「島暮らし」で模索する日々。 私は生まれてからずっと東京にいました。人も物も行く場所も見るものも本当に豊かでたくさんある場所だったけれど、それとは真逆の何もない豊かさを感じてみたいと思い始めたんです。 自然が少ない場所で働きながら暮らしていたので、もっと自然が

島留学から地域おこし協力隊へ。西ノ島で紡ぐキャリアと生活

自分の直感を信じて飛び込んだ島での暮らし。 1年半以上を西ノ島で過ごしてみての率直な思いとは? 今回はR4年4月から島留学生として西ノ島に来島し、 大人の島留学生期間の終了後、「地域おこし協力隊」として活動する野田さんにインタビューしました。 新卒で就職し感じた違和感。自分の直感を信じて島留学へ 大学卒業後、IT企業に就職してエンジニアの仕事をしていました。 新社会人あるあるだと思うんだけど、「思っていたのと違うな」っていう感覚があって。 そこまで就活をちゃんとやったわ

環境を変えたくて島に来た。自分と向き合う毎日のなかで見つけたものとは。

大学卒業後、3年間勤めた小学校の先生という仕事を離れ、飛び込んだ大人の島体験。環境を変えた先で出会った、自分自身の姿とは? 今回は、R5年度島体験5−7月生として海士町に来島 その後3ヶ月の延長を経て、9月から島前ふるさと魅力化財団で知夫村のコーディネーターとして働いている森久あずきさんにインタビュー。 来島から約半年。島での生活を通して感じたことや、これからのことについてお聞きしました。 自分は何を選びたいのかを考えたら、島留学に出会った。 大学在学中に、教員免許を

西ノ島出身だからこそ思うこと、自分と島のあり方を見つめ直す。

西ノ島町出身、隠岐島前高校を卒業後、京都の大学に入学。そして大人の島留学に参画し、現在は岡山県で働く小林さん。 島出身だからこそ語れること、島への想いとは? 大学4年生の頃、大人の島留学第1号として参画。現在は岡山県でお仕事をされている小林さんにオンラインインタビュー。 西ノ島町出身ならでは、島の見え方や、島出身者としての想いを聞かせていただきました。 −ではまず、大人の島留学に参画された理由を教えてください。 参画当時は大学四年生。京都の大学で、地域経営を学んでい

離島で暮らし、働く。若者たちの大切な言葉を伝えます。【大人の島留学PV】

R5年度、大人の島留学PV第三弾が完成しました。 今回のタイトルは「ー私たちの大切な言葉たちー」。 まずは完成した動画をご覧ください! いかがでしたか? 若さ溢れる島留学生・島体験生たちの力を借りて、熱意あるPVとなりました。 前回、前々回に引き続き中村徹也さん監督のもと、中村組が動画を制作してくださいました。 今回はその撮影シーンを少しだけ公開します…! 5月とは思えない暑さの中、西ノ島の摩天崖にて撮影。 この日はR4年度大人の島留学生、現海士物産の空本航一さんも

自分らしさを活かして働けたのは受け止めてくれる島だったからでした

今回お話を伺ったのは、 2022年4月から大人の島留学生として株式会社海士(以下(株)海士)に所属し、隠岐ユネスコ世界ジオパーク泊まれる拠点施設Entô(以下Entô)で勤務していた宮久地さん。 「自分がちゃんと好きだなって思うものや携わっているものをお客様に伝えて、それに興味を持ってもらえる場面が自分はすごく幸せで楽しかった。」 そう話す、宮久地さんに島で働いた1年間を振り返っていただきました。 挑戦したい気持ちを受け入れてもらえそうだと感じて 島を知ったきっかけは

年間約100人の若者が滞在する離島へカバン1つで移住する方法

島で暮らし、島で働く。 島の一員として最前線の現場で島のまちづくりを担う。 フェリーに揺られること約3時間。 島根半島から約60kmの場所にある隠岐諸島をご存知でしょうか。 今回の話の舞台は、”隠岐島前”と呼ばれる海士町(中ノ島)・西ノ島町(西ノ島)・知夫村(知夫里島)の3島です。 この場所へカバン1つで移住する方法。 それが         『大人の島留学』                                  かなり、大きく大人の島留学を説明

自分の生き方を変えた離島での暮らし

「海士町に行ってみたい。」と、期待とわくわくを両手いっぱいに抱えながら、大人の島留学に参画した山名さん。大学4年次を休学し、1年間海士町役場の半官半X特命担当で働きました。 地元での暮らしと180度変わった島での暮らし。大人の島留学を通して気づいた、島の魅力をありのままに語っていただきました。 気になった海士町に迷わず飛び込んだ一度住んでみたかった。その想いで飛び込んだ海士町。初めて海士町を知ったのは、大学2年生の講義中に先生が、「旅行するなら絶対に隠岐諸島!」と太鼓判を

人に巻き込まれ、人を巻き込んでいくと見えてきた私のこと

2021年4月より、3か月間のインターンシップ島体験に参画していた村松さん。ひと月が経った5月ごろには、「3か月では足りない!1年間この島で働きたい!」と思い、7月から大人の島留学生として延長することになりました。 2021年4月から2022年3月までの1年間、海士町役場 人づくり特命担当に所属。7月からは、JICAのみなさんと一緒に業務を行っていました。 JICAのイベント設営など、0から生み出す仕事をしている村松さんに、この1年間を振り返っていただきました。 海士町

「今日も生きてる」って思う日々の連続でした

友人の紹介で知った大人の島留学に心惹かれ、2021年1月より大人の島留学に参画した堀之内さん。 離島で暮らすことは、少し特別でおもしろい気がする。そういった期待感を持ちながら来島し、海士町役場 交流促進課で、ふるさと納税に関する業務を行っていました。 2021年3月より大人の島留学は修了しますが、引き続き、この島で暮らす堀之内さんに、この1年間を振り返っていただきました。 この土地はどんな土地だろうか友人の紹介で知った海士町。直感的に行ってみたい!と感じ、大人の島留学に

農業という環境に、贅沢に関わった1年間だった

2021年4月より、1年間のお試し移住制度である「大人の島留学」に参画するべく、徳島県から来島した妹尾さん。海士町役場 地産地商課で働きながら、島の生産現場から、直売所での販売、料理学校のサポートなど、生産から料理になるまでの過程に携わってきました。 1年間「食」と向き合ってきた妹尾さんに、仕事に対する向き合い方や、島暮らしについて取材しました。 農業は絶妙なバランスで成立している ――この1年間、平日も休日もすごく楽しそうに、農業に関することに取り組んでいる姿が印象的で