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日報『食べてすぐ寝て屍になるような冬でした』_20240303

○やったこと

  • 読書『存在の耐えられない軽さ』/ミラン・クンデラ -22p

○所感

日報を書こうと思い立ったのは、もちろん、文章を書くリハビリのためという理由もあるが、それ以上に、書いていない現状に対して何かしらのコミットを生み出そうとしたためだ。短編については昨年の8月以来書けておらず、長編に至っては掻き捨ててしまった作品を除くと1年は制作できていない、ということになる、らしい。ネット上に最後に長編を上げたのは21年の3月。大学を卒業してから連載形式の作品を1つも投稿していない、ということになる。自分にとって、これほどの長期間、書けない状態が続いたのは初めてであり、困惑と焦りが募っていたところだ。読書すら、昨年の12月〜今年の2月なかばに書けて、ほとんど手に付かなかった。

今冬は休日に寝込んでいることが増えた気がする。少なくとも土曜の昼間は、ベッドから身を起こすのが精一杯で、読書をしようとしても、15分で眠くなるし、30分読み続ければ頭痛にも繋がった。昨春〜昨夏にかけて、ポンポンと浮かび続けたアイデアもこの頃ぱったりだった。

異常事態だ、という自覚があった。だからこそ試行錯誤してとりあえず、読書ができる状態は取り戻しつつある。(それでも、過去の文学作品、とりわけ海外文学なんかは15分読んで休んで…の繰り返しでかろうじて読むことができているような状態ではあるけれど)

当たり前ではあるけれど、読書はものを書く上でのアイデアの源であり、何より悩み苦しみ生きていく上での、モチベーションの核となりうることに改めて気付かされた。今年の冬は痛みの季節だったけれど、雪解けは近い。そう信じている。

『存在の耐えられない軽さ』については、下記の記事で知った。
年間500冊読む文芸オタク・書評家が全部で1万円以内で選ぶ、20代のうちに読んでいて心底よかった本10冊
恋愛で他人と関わるとはどういうことか、を考えさせてくれる…という謳い文句につられて読んでみた本作は、優秀な外科医でドン・ファン(女たらし)のトマーシュと、彼の恋人、愛人を巡った恋愛小説、となっている。まだ出だしの部分しか読むことができていないが、下記引用部分の、トマーシュの考えには共感の声をあげてしまった。

愛というものは愛し合うことを望むのではなく、
一緒に眠ることを望むものである。

『存在の耐えられない軽さ』 ミラン・クンデラ

愛し合うことは不安が裏面に含まれていて、常に愛の存在を証明し続けねば、不安は取り払われることはない。対して、一緒に眠る、という行為はお互いに無防備な状態を曝け出して、それらを受け入れるという、不安が取り払われた、安心しきった状態で成立するものだと思う。前者はどちらかというと、駆け引き要素が強くて、愛というより恋に近いのかもしれない。

近頃は恋や愛について考えるのが楽しみの1つになりつつある。人の心の不可思議な移ろい、論理を飛び越えた熱情を知りたいと思って、恋愛小説や評論を手に取っては読んでみるようにしている。スタンダールの『恋愛論』に出てきた恋の発生についての七段階の過程(感嘆、自問、希望、恋の発生、第一の結晶作用、疑惑、第二の結晶作用)なんかは目から鱗だったし、フランスの鮮烈な恋愛文学の1つである『青い麦』の、初々しい青春の男女の関係が、ダルレイ夫人の魔性によって、滅茶苦茶に崩されていく様は、読んでいてゾクゾクした。こういうのがもっと読みたい。

僕は読書家を名乗れるほどでもなく、長い時間本を読むことも苦手だが、読書はおそらく好きだ。(おそらく、とつけたのは予防線だ。僕はまだ、自信を持って読書が好きだと言えていない)
それに、恋や愛を考える上でまだまだ読んでも読み足りないので、1日のうち、少しずつ読書の時間を設けてあげたい。


※『蓮糸書房日報』は不定期更新です。一応日報なので毎日なにかしらの進捗を産んで書いていきます。

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