『作りたい女と食べたい女』、用語間違いのヴィーガン回でもうめちゃくちゃ
一体どれだけやらかせば気が済むのかよくわからない『作りたい女と食べたい女』(以下、『つくたべ』)ですが、第50話という節目でサブキャラクター同士だけでヴィーガンレストランに行く回となりました。
「ペスカタリアンはフレキシタリアンともいう」なるトンデモ記述
この漫画では「ペスカタリアン」と「フレキシタリアン」はだいたい同じもの扱いしておりますが、各解説サイトを見ると以下のように記述されています。
ペスカタリアンとは
フレキシタリアンとは
どうして「ともいう」扱いした?
ぺスカタリアン→動物肉だけ100%禁止する
フレキシタリアン→動物性食品をなるべく控える
細かくは人にって捉え方も違うので上記のまとめ方が強引なのはそうなのですが、少なくともフレキシタリアンは動物肉も普通に食べはするというあり方なので、明らかに距離があります。
そもそも解説サイトによるとフレキシタリアンは「ゆるいベジタリアン」と呼ばれるような、「完璧なヴィーガンにはなれないけど動物性食品から可能な範囲内で離れたい」というスタンスなので、「基本は植物性中心に食べるけど」という解説自体がミスリードです。
菜食中心の食生活=健康という問題発言
これまた驚きました。これは『つくたべ』内屈指の問題発言です。
菜食=健康は粗雑すぎて医学的ミスリード
筆者としても食事が菜食だけになれば理想的だと考えてはおりますが、残念ながら菜食だけで健康を守るのは難易度の高い行為であり、既に挙げたサイトでも健康リスクをきちんと紹介しています。
上記サイトはいずれも菜食主義に必ずしも否定的なスタンスではないものの、それでもリスク・デメリットは明確に認めています。
特に、過激なダイエット方法や医学的根拠のない健康法のように、昔からオカルト情報を盲信して体を壊す人が後を絶たないので、食事の良し悪しは出版社であればより慎重に扱う社会的責任があります。
これが『明日ちゃんのほったらかし飯』のようなリアリティラインが初めからぶっ壊れている漫画であれば「野菜は体にいい」とキャラが言ったところで「せやろな」とだけしか読者は思わないでしょう。
しかし、『つくたべ』は“正しさ”を売りにした漫画作品であるので、そうはいきません。出版社は今すぐ訂正・補足記事を出す義務があります。
上記の連絡用ページで『つくたべ』に対して意見・要望を送れるようです。時間があれば、この内容が許されるものではないことを送りましょう。
健康の概念があるのに春日十々子の大食いを楽しむ邪悪さ
健康意識が強くてペスカタリアンをやっているのであれば、何故この過食を楽しむことができたのでしょうか? 「おっ、こいつ、また命を縮めてるな(笑)」と嘲笑しながら鑑賞していたということでしょうか。第50話で健康の概念を持ち込んだことにより、矢子可菜芽の倫理観が更によくわからなくなりました。
ヴィーガンと「作りたくない」はバランスが悪いという問題
矢子可菜芽は上記引用のように買ってくる主義だと述べていますが、ペスカタリアンであっても、現代日本の惣菜食品で肉類を避け通すのは何かと苦労が多くなるため、自分自身でまったく料理をしない設定は非常に厳しいのではないでしょうか。
矢子可菜芽がソシャゲ1つを延命させ続けられるような富豪とかであれば、金銭力でそれを可能にできるでしょうが、第47話で会社勤めという設定が明かされています。勤め先でとんでもない利益を生んで高給取りになったとかそういう設定があるのであれば、すぐに出すべきです。
カタログ漫画だから『つくたべ』は押し付けにしかならない
何より驚くべきことが、矢子可菜芽は何故ペスクタリアンというスタイルを取っているのかをまったく説明しません。「理由はひとそれぞれだよ」と言うくせして、そのどれかについてはまったく触れずに一般論だけを説明するのでカタログ漫画にしかならないのです。この50話が特に教科書か何かにしか見えないのはそのせいもあるでしょう。
このように、押し付け批判だけを取り出すのは、このセリフを考えた作者自身がヴィーガン議論を押し付けか否かの問題とだけ認識している証左でしょう。ヴィーガンはあくまで理想のための手段であり、その先に何を得ようとしているのかまで書かなれば、漫画の題材にする意味がまったくありません。こういう認識だからこそ、ペスカタリアンとフレキシタリアンとを同じもの扱いするのではないでしょうか。
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