見出し画像

BL作家ー2 区切り

【コンテンツ】
1 着火

 ■■■■■

上空に向かえば向かうほど空気の含む温度は下がっていく。まるで温度も重力に引っ張られているみたいだと彼は思う。大気も体制と変わりない。重いものには巻かれていく。
 気温が下がるにつれ、体がクールダウンされていく。冷気にさらされたことで、硬くおもりのように腰を据えていきりたっていたものが嘘のように軽くなり、風に弄ばれ、今度は右に左にせわしなく落ち着かない。

 急ぎたかった。こんなことなら最後の食事だけでも摂っておけばよかったと後悔するが、摂れば摂ったで回復すれば先延ばしにされることがわかっていた。限界を超えた直後でなければ解放されることはなかった。
 逃げることもできたかもしれない。逃げた先で口にできるものを見つけられれば、生き延びることもできただろう。だがその選択には取り返しのつかない犠牲が伴う。逃避は囚われからだけではなく、からも逃げることになる。裏切ったと知れば、は許してはくれないだろう。
 体力にも余力はなかった。あそこに辿り着くだけで精一杯だった。うまいこと調整しやがる、と彼は空中で独りごちた。
 逃避なんて馬鹿げたことも、疲弊がもたらした幻覚だったかもしれない。

 体力を飛行機にたとえるなら、ほぼ燃料が尽きる寸前だった。大気圏を抜けた天を鏡に映す自分の顔は、眼窩が地盤沈下を起こしていた。今回ばかりは間に合わないかな。これまでこんなことはなかった。いつだってぎりぎりのところで着地してみせたのに。ふらつきながらもどうにか目的の地に着地し、その足で歩けた。
 なのに。
 クールダウンの具合が最適な領域を抜け、体が震え始めた。体は寒さを感じている。頭ではそう理解していた。脳細胞は働いていたけれども、神経の末端が生体反応の機能を失くし始めていた。体が寒さを感じなくなっている。目を閉じてしまいたくなった。いや、意識が考えたことではない。肉体の声を意識が耳にしたような、遠くから聞こえてくる手招き。見えているものすべてが印刷されたドットに分解され、輪郭が線から点に分解されていく。形あるものが生成の複雑性を欠き、シンプルな点に戻っていく。形ある肉体が、灰という1点に向けて溶け出しているようだった。
 たただただ眠い。
 睡魔に襲われてる。その睡魔が、ラップをかけたみたいに体を包み込んだ。
 閉じた瞼が上がらない。
 視界とともに意識が途絶えた。

「見えた」とイフが叫ぶように言い放ち、東の空を指差した。薄く雲のかかる空に、小さな墨の点が揺れている。近づいてきているのだろうが、対象物が小さく、近づいて来ている実感がない。
「落下地点は森の途絶えたところあたり。デバイス上にあたりをつけておくから、急いで回収に向かってちょうだい」
 あちら側から片割れを解放したケイの予測どおりだった。回復力が落ちた今、そこイフのいるところまで辿り着かないだろうとケイは言っていた。「彼の体力は、全盛期の9割ほどまでにしか回復しない」という。その比率は、限界まで耐えたあとの飛行距離にそのまま反映される。
 準備はしていた。判断が遅れることはない。問題は無駄に時間をかけることなく迅速に見つけ出し、連れてくることだった。
 イフの出動命令に、捜索隊が出発した。
 貴重な個体を見失うわけにはいかなかった。


 このまま書き進めてもだいじょぶかしら? なんだかSFチックになってきちゃった。

 子供のころから壮大な宇宙に憧れ、冒険ものや科学空想ものにのめり込んでいた私は、まるで女の子らしい時間を過ごしてこなかった。幼少期の女子の成長は男の子より早く、その波に乗り、わんぱく坊主どもを従えてもいた。ちんまりまとまった男子を尻目に、私は誰よりも大きな夢を描いていた。宇宙自体を研究するか、宇宙工学に携わる仕事に就きたかった。
 今は変えようもなかった現実の壁に弾き飛ばされ、宇宙とは無縁な仕事をしているけれど、封印したはずの思い出箱に亀裂が生じて、エキスが漏れ出したしまったのだと思う。描く作品世界は立ちはだかった現実の壁を回避して、かつての夢想とつながっている。
 人の決心ほど、不確かな蜃気楼はない。私と美留香がこんなふうになってしまったのだって。

 美留香は明日の仕事に差し障るといって、日曜日の夕食前にはここをあとにする。
「じゃあね」と角を落とした笑顔で美留香はドアを出てから小さく手を振る。それから軽く唇を合わせる。深追いのないキスは、区切りのキスだ。廊下を歩き階下へ向かう【▼】ボタンを押す。しばらくすると扉が開き、エレベーターに乗り込むまで美留香は玄関から顔を覗かせる私に目を向けることはない。彼女の私との時間は、区切りのキスで終わっている。

 ひとり残された部屋で、続きを書いていた。書きながら、美留香の指遣いを思い出す。じゅんとした。
 指を滑り込ませようと思う。だけど確かめてしまうと、途中でやめられなくなる。

 美留香は、手練手管のテクニックでBL世界を描いていく。そのレベルは私のよりはるかに高い。ただし、今の時点では、ということだ。水の差を開けられている現実に目を移せば忸怩たる思いを感じてしまう。当の彼女はネコに徹しているけれども、女に徹しているからこそ、女の私を男を操るみたいに弄んで楽しんでいる。ここにも忸怩がある。
 悔しさが体の芯に灯ると、通り過ぎていったはずの官能が呼び戻されて、殿にされるがままに帯を解かれるか弱き女になってしまう。キーボードに置いていた指先が、誘惑に負けてしまう。帯をほどく殿様が悪いのだ。

〈第2話 終わり 続く〉



※気が向いた時に続編を考えていこうと思います。
 書き当たりばったりなので、展開は未定です。
 アイデアやご感想、この世界の見聞録がございましたら教えていただければと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?