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無償でいいのかボランディア。

 労働力確保には2つの側面がある。一つは企業活動の維持、発展。もう一つは経済循環の維持、発展。労働力自体はそれら二つが目指す未来に向けて消費される燃料だ。

(労働力は蒸気機関車の火室に焚べられる石炭同様、燃料としての命をまっとうし、燃やされて灰になるという現実もあるが、それはまた別の問題なので機会を改めて触れられたらと思う)

 一つ疑問がある。東京オリンピックでは有料ボランディアが当たり前に公募されていたのに、大イベントが終わるととたんになりを潜めた。ボランディアは無料の奉仕活動で対価は不要という、それまでの「支払わないで当たり前」が再び幅をきかせ始めた。
 ボランディアは、無償で行われなければならないのか。そもそも有償ボランティアってなんだ? 

 無料奉仕は企業にしてみれば甘い水。労働力を提供してもらっても給金を払わなくていいんだもの。
 だけど経済においては、GDPを押し上げない効率の悪い労働力。ただ、滑走しているだけで、浮かんでもごくわずか、いっこうにはばたけない日本経済に、企業の原価負担を増やさないボランティア労働力は切り捨てがたいーー経済は、メリットとデメリットの狭間で腕を組んで悩んでる。痛し痒しの労働力に、白黒つけられずにうんうん唸ってる。

 でもさ、お国全体を俯瞰すりゃ、足りない労働力の現状の首を絞めてるのはほかならぬ企業と経済なんだわさ。

 そりゃあーた、女子供に老人、障害者、一方的に戦力外通知しておいて、労働力不足と嘆くのは筋違い。道ゆくあーたも真面目に聞いてよ、「昨今、消費者の財布の紐が固くて困る」と嘆いても、非正規でまともな給金もらえぬ人の製造機社会、その現状でどうやって財布の中身を増やせというのさ。お金は天から回さにゃならぬ。ボランティアだって立派な経済に寄与する労働力って認識、持てないのかねえ。

 有償ボランティアって言葉、実は日本でしか通用しないんだぜぇ。人の自発的好意は無料でいいねと都合のいいとこだけ取り上げたものだから、結局、企業にとっても経済にとっても、最終的には重い錘となってツケがまわってきてるじゃないか。
 ボランティアは自発性。腰掛け社員とは違って原動力にトルクがある。そこに対価という油を注がなければ、燃料はオクタン化をあげられない。

 ボランティアに正規料金を支払えと言っているんじゃない。ボランティアにも覚悟があっての自発行動だから、もとから対価を求めていないところもある。だけど、1時間あたりの最低賃金の半分でもいいから、原価に計上してみてごらんよ。きっと、変わりはじめるよ。

 ところでワタクシは何者か、ですって?
 『本来のボランティアがもつ意味を日本に浸透させよう委員会』から派遣された陰の仕掛け人でございます。

【メンが割れると困るので、写真は勘弁】

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