直木さんと芥川さんの間で揺らぎ、燃ゆ。
いつもなら直木さんを手に取る。安心できるから。なんて言えばいいのかな、スペアのある安心みたいなものを感じる。割れやすいグラスでお酒を飲んでいるとき、万が一手を滑らすアクシデント! 不慮の事故! に思いがいたっても、戸棚に顔を向けると、誇らしげを誇示するでもなくちょこんと膝をかかえて佇んでいる者がいるーーほっーー。替えが控える安心感。そんなものがある。
何かが足りなくても、挽回すべき隠し球をきちんと備えている。
でもなぜか今回は芥川さんを手に取った。
直感というやつだ。
直感は、すごい。理詰めなしに決めてしまう暴力的な力をもっている。なにせ気持ち不織布を一色に染めてしまうのだから、抵抗の手がつけられない。疑わない。従順ではなく意図した恣意だ。抗えない。
直感の脆さってものを知ってはいる。選んだ道が途中でイバラに変わったら、平気で後悔しちゃうんだもの。諦めの凋落はひらめきの閃光と同じくらいの俊足でやってくる。
そんなこんながあって手に取り、読後2日を置いた『推し、燃ゆ』。
純ブンガクは時に先鋭すぎ、尖っているのに刺さらないことがあって、いつの頃からか日時時計のクッションを置くようになっていたのに、今回は違った。芥川さんを最初に手に取った。
読後感で路地を描くつもりはない。景色に投網を放るくらいのゆるい捉え方のほうがいいような気がするから。直感的にね。
結果。
読んで、良かった。
直感は、イバラの道に続いていることもなかったし。
ほっ。
こっちの道にも安心感があった。
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