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バイク愛はいかほどに。

「私とオートバイ、どっちをとるの?」
 鬼の形相で迫ってきた彼女は、出来レースと値踏みした挑発を、問答無用に押し付けてきた。一発逆転を目論む怒涛の押し切りに、まんまとしてやられるわけにはいかなかった。かつては寛容な天使の笑みで「しょうがない人ね」とバイク趣味を寛容な懐で受け止めていたはずなのに、あれは元々含んでいた目論見への舵取りのほんの入り口でしかなかった。入籍が刻一刻と進み、まさにカウントダウンまでたどり着くと、彼女はそれまで被っていた羊の仮面を脱ぎ捨て、本来の狼に戻って威圧しにかかった。財布の紐から人の趣味領域にまで、彼女は呪縛の網を張り巡らすつもりなのだ。

 だけど、おいそれとその破竹の勢いに気押されるつもりはなかった。たとえ相手が荒波でも、飲まれずに乗り切る手だてはあるはずだ。意志は固かった。。硬くこちこちにしておかなければならなかった。なぜならここで押し切られてしまうと、一生尻に敷かれてしまう。牢獄の鉄格子を無力に揺さぶる冤罪の罪人に成り下がる。それだけは是が非でも避けたかった。
 だから彼女の問いに「決まってるじゃない。オートバイさ」と答えてやった。

 主導権を握られたら最後、とことんあちらさんの決定権に従属する下僕で終わる。ここで譲歩して一生悔やむくらいなら、破談という烙印を甘んじて受けてやる覚悟で臨んだ。
 いちど心に決めたら、おぼつかない足元を精一杯爪先立ちして積み上げてきたこれまでの段取りが、結婚までの道のりが、やたらとつまらないものに思えてきた。

「本気?」の投げかけに、本気で「本気さ」と応えていた。彼女の反応は心なしか震えていたけど、武者震いに背中を押された僕の回答は確固たるもので、こちこちだった。決意は断固として揺らがなかった。

 僕が断言したことで形成が逆転し潮流が変わると、それまで僕の喉につかえていた異物が突如消えたかのように、気分は晴れやかに澄み渡った。

 これでもう、社会的模範の夫婦というゴールに向かう必要はない。積み上げてきた形式の轍にこれ以上、縛らられ続ける義務もない。反社会的で掟破りの蛮行だと揶揄されても、自分を裏切ることで支配される偽善の顔から解放されるのだ。そう思うと、これから火消しに翻弄される日々さえも容易い試練に思えてきた。

「あなた、自分で何を言っているのかわかっているの?」
 いきりたってはいるものの、彼女は言葉の端に、覆されたことによる焦燥を滲ませていた。知られてはまずい隠し事ががバレたかもしれないといった疑心暗鬼が、唇の端を細かく震わせていた。

「わかっているとも」
 さらりと僕は言ってのけ、彼女の返事を待たずして踵を返す。大瀧詠一は【僕】を途方に暮れさせ、歌詞の彼女を心のままに歩ませたけど、現実の僕と彼女は、僕が心の決めたままに歩み出し、彼女のほうが途方に暮れている。

 待って!

 彼女はそう言いたかったに違いない。だけど口にしてしまうと、これまで築き上げてきた優位性が総崩れを起こすだけでなく、巻き戻そうと巻いたリールが勢いつけて加速して、形成逆転の勢いが優劣の差を広げてしまう。
 彼女には土壇場のどんでん返しを甘んじて受け入れるような失態は耐えるに耐えられなかった。そんなこと、あってなるものですか、彼女の般若と化した形相が怒りの噴火の大きさを如実に物語っていた。
 彼女のプライドは、縋りつくことも許さなかった。縋りついてしまったら、ずっと従者のままでいる。弱者には絶対になってやるものですか。その意志は頑なで、去り行く者の足元に追い縋ることを拒み続けた。

 僕は「アディオス」と背中で語り、左手を挙げて歩き始めた。
 時は刻一刻と『さよなら』の意味を色濃く染めていく。

 今、歯止めをかけておかないと、このまま終わってしまう。考えている間にも『さよなら』が色濃くなってく。
 これでいいのか? 彼女は自分に問いかけた。問いかけた先から答えがわからなくなって、追い討ちをかけて問いかけた。
 やっぱり、これまでの努力を無にするわけにはいかない。そう思った瞬間、耐えられなくなって、意地を捨てた。
「待って!」
 切望しながらも、最後の砦は越えられなかった。縋りつくことだけはしなかった。きつい目を僕の背中に突き刺すに留めたのだ。

 これほどドラマチックな事件が起こっても、僕のバイク愛は揺らがないということを知ってもらいたかったんだ。わかりやすいドラマ仕立てで話してみたんだけど、わかってくれたかな?

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