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どうして出口が優先されるのだろう?

 自転車やオートバイにスマホを装着して走るサイクリストやライダーが増えている。なんと器用な、と感心するばかり。試しにやってみたら、怖くて仕方がない。二輪車は、三半規管に我が身の安全を委ね、バランスをとりながら走らなければならない乗り物なのに、視界の一部をスマホというごく微小な画面にとらわれただけで、睡魔の如く、あるいは暗室で光景を炙り出すかつての写真機がそうであったように、魂を抜かれたみたいになって、そのまま真横にばたんと倒れる不安がふつふつふつふつ湧いて出る。
 体幹の不備は認めよう。個人差があることも理解しており、我が身の不甲斐なさは承知している。であるからして、使いこなしながら乗れてるサイクリストやライダーを見ると、なんと器用な、となる。

 お願いだから、と思う。自惚れがすぎてよそ見がち、当たって、ごめん、なんてことにならぬよう。

 政府はヘルメット着用を努力義務というヴェールを被せてまんまと着用義務へのステップを刻んでいるけれど、事後の出口で獲物を待ちかまえるようなことではなく、
入口にもっと目を向ければいいのにな。アクシデントが起こったからルール化しましたというのでは、怪我をしたからバンドエイドを貼りました、というのと一緒。傷口は痛いし、バンドエイドも消費する。そうではなくて。シリが汚れたからあとで拭うような施策より、ケガせぬための事前策をモラルとして浸透させたらどうでしょう。そのほうが、ケガがないから痛くはないし、バンドエイドを無駄に使うこともなくなる。

 ながらスマホで自転車はいけないし、イヤホン自転車も厳重注意の対象となっている。だけどそれだけじゃ足りない。バランス崩して転倒してしまってからではもう遅い。転ばぬ先の前と後ろと右左。画面は、注意集中、道路の安全確認項目の必須じゃない。

 スマホ・ホルダーに無縁なスタイル、これまでどおり、目的地への道筋はGoogleマップで事前にみっちり調べておいて、迷ったらその時に自転車停めて、Google先生に頼っちゃう。スマホに助け舟を求めるのは、窮地に陥ったあとでいい。

 あれ? 自分だって面倒なことはあとにまわして、最後にケツを拭おうとしているじゃないの、と遅ればせながら気がついた。他人のことはいえないか。やれやれ。

 器用に生まれていたら、今ごろきっとスマホ・ライダーの仲間に入り、こんなまわり道なこと、考えもしなかったんだろうな。そう思うと、ちょっと悔しい。

 今日も明日も明後日も、どうぞ無事安全に快走できますように。

【タラちゃん世代をもう一度生きられたら。
三輪車なら、スマホ・ナビを怖いと感じなかっただろうに。』

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