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がんばる受験生に。
中学受験で勉強した覚えはないものの、大学受験は我ながらよくがんばったと思う。
努力が報われることなんて稀であることをまだ理解していなかった時代の努力は空振りに終わったけれど、あとになって笑えればそれもまた人生のいい思い出。
自分の出来の良さに悪さに一喜一憂しながら臨む大学受験。入学できるも八卦、できぬも八卦。今でも渦中の受験生はクリスマスも大晦日も正月さえも返上し、ねじり鉢巻ググッと引き締め、ラストスパートに持てる力を全力でぶつけているんだろうなあ。
終わってしまえば、世界を背負ったくらいの気迫も今は昔。喉元過ぎて忘れたあの情熱も青春の1ページだったよと、達観の高みから上から目線。
「みんながんばれ!」
経験者だからこそエールを送ることはできなくもないけれど、やっぱりやめとこう。だって、予防接種のワクチンを受けた者が、これからチクンの怖さに震える人に「痛くないから」は何の役にも立たないでしょう? 直面する難題に効くアドバイスもあるけれど、余計なお世話と紙一重。逆効果の可能性を孕む言葉に、有り難さの価値はない。
せめて切羽詰まった緊張の糸を緩めてあげることくらいしかできないよ。
ゆとりは正義。追い詰められたネズミでも、隠し扉の抜け道知れば、猫を噛むなどという玉砕戦に出はしない。
世の中に合格祈願は数あれど、どれも第一志望に効く神様が牛耳っている。いいじゃないの、針の穴を通すような狭き門に、その大きな体を無理やり通そうとしなくたって。勝てば官軍、どの大学でも受かればそれもまた官軍。
しがみついてでも合格できますように!
猿は落ちて縁起に関わるけれども、『猟ある猫は爪を隠す』のだそうな。出遅れて勉強の出来が少々至らなくても、捨てる神あれば拾う神あり、喰らいつく才に長けていれば、そのしぶとさを買ってくれるどこぞの大学が門戸を開いてくれましょう。ということで、『落ちそうで落ちないペンダント』。神頼みが最終段階に入ったら、おひとついかが?
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