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銀河鉄道の乗車券。

 冬は怜悧な奔馬ほんばと決まっていた。極寒に氷結の風突き刺す冷酷無情、急ぐのに立ちはだかる害意はホワイトアウト。人の意は阻まれ、ことごとく失意に落ちていく。手立ては尽き、果てに炬燵こたつで丸くなる。

 鍬を振り額に汗かく大地を崇める人々は、長い隧道ずいどうのような閑期かんきの休養、蜜柑みかんの箱買い大人買い、芽吹く春を心待ちにしているのかいないのか、皮を剥き剥き三口で全房口にほおりこみ、渋茶で胃の奥底に流し込む。

 冷吟関酔れいぎんかんすいこそ人生と達観できる者はいい。長閑のどかに暮らせど財が尽きぬというのなら。

 宿痾しゅくあにやられた岩手の才は、終の住処で鍬振り上げて、働けど働けど我が暮らし楽にはならぬと遺したけれど、第三次元経済交流闊達電燈に照らされた今時分に生を受けたほとんどは、同種の境遇。働けど働けど老後の心配せにゃならぬ。
 故に厳寒の長丁場、南国ハワイで安逸あんいつと決め込むなんぞは夢のまた夢。コスパに優れたユニクロ・ダウンを身にまとい、寒風を交わしながらぎゅうぎゅう詰め満員の通勤電車への道のりを、襟おっ立てて邁進するのが関の山。庶民にあたる電燈の光は、「君こそ我が社の期待星」の、乗せるおだてのスポットライト。

 なのに今年の冬ときたら、北国生まれの身とすれば、あまりに手ぬるい。身の芯はまだ寒さに震えあがっていない。
 これは凶兆なのではあるまいか。

 これほどの暖冬に両手もろてをあげて喜べないのは、気温の底上げが足元まで浸水してきたからだ。
 長い隧道のような閑期のぬるま湯に浸っていた者たちも、近い未来にもしかして休日返上の憂き目に遭うやもしれぬ。うかうかしてはおれぬはず。

 つくづく振り回される時代になったものだと、今日もまた仕事への身繕い、忘れ物ないかと施錠間際の指差し点検。浮かべるだけ浮かんでいようともがいたあの家庭教師には一生かけてもなれはせぬ。もがいたらもがいただけ、我が息は苦しくなるばかり。聖人君主への道もまた、夢のまた夢。

 嗚呼、いつの日に訪れよう。機械仕掛けの社会からの離脱、歯車が脱落するのと引き換えに手にできる銀河に向かう蒸気機関車のあの切符を手に入れられるのは。

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