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『ゴッホ・アライブ』

 絵は、対峙して喚起される空想こそが奥ゆかしい。ラッセンなら海のそらを空想浮遊で遊び、ローランサンなら虹色世界のファンタジーで恋をする。若冲なら和装の筆致に襟首正し凛とする。

『ゴッホ・アライブ』がにわかに気になった。
 入場料は、と。なんと3000円。高い。
 なぜこんな値段なの? と疑問に思えば、Google先生が教えてくれた。なるほど。対峙して喚起された空想を圧倒的迫力で人工的に具現化したんだもの、そりゃ金がかかるわな。かかった費用が入場料に反映されたわけなのね。

 絵画という絵の才能が残した作品を、現代に生まれたビジュアルの才能がレバレッジをかけて拡張し視界いっぱいに見せることで魅せるカラクリ。活字が凌駕され、画像と映像が幅を効かせる現代だもの、平面の絵一枚に見入ってちんまり空想するよりも、はるかに真に迫った現実を再現する(んだろうな)。そんな大仕掛けが気になって仕方ない。

 でもちょっと、腑に落ちない。イメージの具現化は大掛かりなのに、空想の世界って安上がり。でも、だからといって、優劣つけられるものではないはず。
 それでも『ゴッホ・アライブ』は世の現実を突きつけてくる。
 百空想は一見にしかず、ってね。

 でもね、空想はわざわざ電車で天王洲アイルに出かけずとも、自室で完結できる。小さな巨人を心の中に現すようなものだ。反論が心の中でこだまする。抵抗すれども、『ゴッホ・アライブ』気になる。あちらは巨人を大舞台で見せてくる仕掛けの妙。気になる。

 百聞は一見にしかず。経験なきもの、語るにしかず、と浮かび、決意に着地した。
 行こう。
 決めたはいいものの、調べたら予約制。思い立ったら吉日のはずが、とうに週末のチケットは完売していた。

 空想に生きてきた時間が長い者は、なかなかその枠から出られないようにできているのかもしれない。行こう、と決めたものが、行けたら行こう、にランクが落ちて、結局はまた行けずじまいで幕を閉じてしまうーー萎んだ未来が空想の中で膨らんでいく。

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